掟破りのスーパーウェポン side-B













 赤城山。山頂。
 ここへの道を登って来るかすかなエンジン音を耳にした涼介は、やがて現れるだろうクルマの方角へとその白い貌を向けた。
 約束の刻限までにはまだ数分を残しているが。
 ―――来たか……?
 薄いブラウンのサングラスの奥で、ぐ、と眼に力が篭もる。

 目の前にピタリと白いエボIVが止まり、ナビシートから京一が降り立つ。
「久しぶりだな涼介」
 真っ直ぐに涼介を見て、声を掛けた。
「須藤京一。やはりお前か。」
 予想通りな男の姿に、涼介が険しい眼差しを向ける。

 やけに背後の雑音が煩くて耳に付く、ザワザワとした場所からの電話を受けた。
 レッドサンズのリーダーである涼介に、『来れば分かる』と名を告げようともしなかった相手は日時と、そしてこの場所を指定してきた。
 携帯電話に掛かってきたそれはディスプレイに「公衆電話」と表示されるだけで、送信元の番号や相手の身元を示す手がかりは何もなかった。
 しかし涼介には、煩雑な音に紛れて聞き取りにくいその声が、どこか耳に覚えのあるものだった事に気付いていた。

―――茶番じみた真似を……。
 涼介は相手を睨みながらサングラスを外す。額にかかる前髪を、煩わしげに軽く頭を振ることで払った。
「何を企んでいる。」
 相手の出方を伺って、尖った視線のまま詰問する。
「おおぃおいおい。ご挨拶だな。一年ぶりの再会だっていうのに。」
 わざとらしく笑うような、つれない態度の涼介を宥めるような素振りで京一が言った。しかしその目は決して笑ってはいない。むしろ涼介の奥底までを鋭く射抜くような。

―――そういう事にしておかねぇか、涼介。
 京一は涼介に視線を合わせたまま、ゆっくりとした動作でエボIVのルーフに手を掛けて斜を向き、横顔を見せる。
 この頃、清次もコクピットから降りて愛車の脇に立っていた。

―――……一年?ふうん。そうか。
 その言葉を聞いた涼介が胸の中で、思わず含み笑いを洩らす。
―――しかし、無駄な足掻きだと思うぞ。京一。
 その色を瞳に覗かせた。

「このごろ地元じゃ遊び相手がいなくて退屈してた。イキのいい遊び相手を探しに来たってワケさ。この先、こっちのエリアで遊ばしてもらうことになる。とりあえず今日のところは挨拶まわりってとこさ。」
 涼介に鋭い眼差しを向ける京一が、挑戦的なセリフを吐く。

―――そうかも知れねぇが、涼介。それでも、な。
 微かな嘲りを浮かべる漆黒の双眸が仄めかしている嫌な予感を、できれば受け取りたくはない京一であった。
「律儀な事だな。好きにすればいいさ。ただしこの赤城ではそっちにとって楽しくない遊びになるだろう。」
 京一を流し見ながら涼介は、ふ、と微笑を浮かべて小馬鹿にしたような口調で言ったが。

―――とりあえず。この場での態度ははっきりさせてもらうぞ、京一。
「俺達レッドサンズがいる限りな。」
 最後のセリフでは再び真っ向から京一を見据えて、強烈な自負を覗かせた。
「ふん……。相変わらず強気だな涼介。お前こそ忘れるな。今の俺は一年前とは違うってことをな。」
 京一が片眉を上げて双眼をギラ、と挑戦的な光で満たす。
「あの時は負けたが今度は勝つ。俺の全勝記録を止められたお返しにお前の全勝記録を俺が止める。」
 宣誓の言葉とともに、腕を伸ばして涼介に指を突き付けた。

 一年前に涼介から受けた屈辱の記憶が脳裡に甦る。
 忘れられぬあの敗戦を覆し、雪辱をそそぎ、己の理論の正しさを涼介に証明し認めさせる為に。
 涼介に敗北してからのこの一年、更に技を磨き、走り込みを繰り返し、クルマをのポテンシャルを上げてきた。そうやって全ての分野において熟成に熟成を重ね、実践を積む事に費やされた時間は、膨大なものであった。
 しかし結果が出なければ、その全ての努力は無に帰すのだ。到底許せる事ではない。
 京一は意味の無い事、価値の無い物を認めなかった。
 そうやって自分の身の回りからと自分の中からもそれら全てを排除してきたのだ。


 そして今や、涼介との繋がりは公道での勝負だけではなかった。
 一年と口にはしたが。
 確かに、京一が涼介にバトルで敗北し耐え難い屈辱を味わってからは一年の歳月が経っていた。
 だが実際には数ヶ月前。
 図らずしも街角で涼介と再会したあの時を境にして自分達は―――。
 それ故にも。金輪際。二度と。
 京一には涼介とのバトルで負けを喫するつもりはなかった。
 だから、一年前のあのバトルを涼介とのピリオドと見なして。
 再び走り屋としての対等な場所からとして―――の、先程の言であった。

 しかし。
「ふっ。……生憎だったな。俺の記録は最近止まってしまったのさ。」
 何の気負いも見せずに、それどころか軽く笑いの気配までを滲ませてあっさりと涼介が、京一にとっての爆弾を投下する。
 「な……ッ。」
 涼介から返ってきたその返事の、その、あまりと言えばあまりな内容に京一が虚を突かれる。
「秋名のダウンヒルでハチロクに負けた。」
 負けたと言いながら、京一に向ける涼介の微笑はあまりにも穏やかにすぎた。
「何だと……?」
 京一の声が低くなる。
 知らず、強張った指先が痙攣するようにピクリと震えた。
「引退するつもりでいたがお前に勝ち逃げと言われるのも癪だからな。リターンマッチに応じないでもない。」
 涼介がどこか、楽しそうな声を聞かせる。
「適地に乗り込んでくる心意気は評価してやる。」
 手にしていたサングラスを再び顔へと戻しながら続けた。
「バトル前の三日間、他のチームにも話をつけて、お前達の為に赤城のコースを開けておこう。思う存分走り込め。」
 素っ気なく冷たい表情に戻ってそう告げる合間に、寄りかかっていたFCのドアを開け、滑らかな挙動でコクピットに滑り込み、バタンと閉める。
 イグニッションキーを回すと、火の入ったFCが低い唸りを発し始める。
 一瞬の沈黙の後、涼介は京一に視線を当てた。
 何か言いたげな素振りをチラと見せたが。
「いつでも来い。……京一。」
 結局はただそれだけを言って、FCのアクセルを踏む。
―――深い声だった。

 心地よいロータリーサウンドを響かせて白いFCが二人の視界から消えて行く。
 最後まで、涼介は京一から視線を外さなかった。
 そして京一もまた―――。


「あんの野郎スカしやがってぇッ!!追っかけて行ってケツをつつき回してやるッ!」
自分が完全に度外視されていた会話に―涼介に―憤りを感じていた清次が、遅まきながらエボIVのドアに取り付いた。
「やめておけ清次。お前には無理だ。追いつけない。」
 軽く目を閉じていた京一が間髪を入れず、静かな声で制止する。
「俺が?」
 目を剥いて清次が反論を試みる。
「あんな優男。それほどの奴には見えねぇがな。型遅れのFCだし。」
 自分でも理由がよく分からない苛立ちに駆られて、涼介とFCが走り去った方角を睨み付けながら、清次が馬鹿にしたような口調で吐き捨てる。
 レッドサンズのリーダーだと言う高橋涼介の視線が、清次に向けられる事は一度もなかった。
「ハチロクに負けるような奴だろう?」
 へっ、と嘲笑いながらも、やり場のない憤りと発生源の分からない焦りから、その額には薄く汗が浮かんでいる。
 最前の京一と涼介の遣り取りから清次は、何か嫌な感触のするものを感じ取っていた。
 お互いに強い視線をぶつけ合ったまま絡めて外さない二人に。


 清次のその感情の名を不安、と言う。
 もしくは―――。


「馬鹿野郎ッ!高橋涼介を甘く見るなッ!この俺が一年前。あのFCに。完膚無きまでに。叩きのめされてるんだ。」
 一言一言を区切りながら、叩き付けるようにして清次に叩き付ける。
 うだうだとしつこく言を紡ぐ清次に、めったに感情を面に顕わす事のない京一が珍しくも、腹立ちを見せていた。

 奴を知る俺が無理だと言っているのに、聞き分けのねぇ奴が……。
 清次如きが涼介を追える訳がないというのに。

 赤城の白い彗星、公道のカリスマ、などというふざけた代名詞で呼ばれている男。
 京一は、戯れ言に交えたり皮肉を込めて投げつけるのであれば、涼介をその名で呼ぶ事もあったが。
 本気でそうと思って口にした事なぞただの一度としてなかった。
 京一にとってとって涼介は。ただ。
 高橋涼介と言う名の一人の走り屋。そして一人の男であった。

 涼介を追う事ができるのは。
 そして―――。

 あいつを負かすのは俺しかいないと思っていたんだが……。
 FCを駆り立てているだろう涼介の姿を思い返しながら京一が衝撃の言葉を思い出す。
 涼介が負けただと?ハチロクに。秋名のハチロク…………?
『秋名のハチロクはまだ一度も負けた事がないんだ。FCにもFDにもR32にだって!!』
 ……そうか。あの小僧が言っていた。あれがそのハチロクか。一体どんな奴なんだ……。
 涼介をして拘りの無い朗らかさで負けたと言わしめる、未だ自分とは相見えておらぬその相手への苦い思いを噛み締めながら、京一は秋名のハチロクの名を強く胸に灼き付けていた。







                                              ― 了 ―