OFFICIAL SECRET


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「そんじゃ俺『あっち側に行く』に五千円」
「俺も」
「てめぇら汚ねぇぞ!」
「言い出したのはお前だろ?」
 日塩有料道路内に点在する駐車場の一つに各自のランエボを停め、広がる緑の上に腰を下ろして、持ち寄った昼食を広げていた男達の間から騒がしい声が上がった。
 新入りの峰岸とそれを取り囲むように陣取った古株のチーム員三人である。
 エンペラーの残りのメンバー達も三々五々と思い思いの場所で賑やかに――騒がしく昼を摂っていた。少し離れた場所には、先ほどまで何くれと峰岸の面倒を見ていた速見の姿もある。
「チッ。じゃ、俺は残るに千円」
「やけに安いじゃねぇか」
「馬鹿野郎、みすみす取られると分かってる金出すこっちの身にもなってみろってんだ」
 弁当をつついている峰岸にチラチラと値踏みするような視線を投げつつ、その正面に座していた男があきらめたような声を放る。
「じゃこれで決まりな」
「仕方ねぇな。他の連中にも後で声かけとくか」
「そうだな。……よっしゃ、頑張れよ。お前!」
「―――げほっ」
 いきなり背を叩かれて弁当を喉に詰まらせた峰岸が、目を白黒させながら咳き込んだ。
「無理無理」
 一人が言いながら、悪い、と苦笑して新入りの青年に水筒の茶を渡してやった。
「てめぇ自分があっち側だからって」
「ふん。ほざいてろ。俺は幸せなんだからいいんだよ」
「………俺が悪かった」
「分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ」
「張り合っても虚しいだけだぞ」
 苦笑いを含んだ疲れたような声。
「っくしょうッ」
「あの……何の話っすか」
 げほげほと咳き込んでいた峰岸が目尻に涙を滲ませながらもようやく復活の兆しを見せて、チーム員らの会話に参加しようとする。
「あのよ、アキラ。聞くけど―――」
 千円と言っていた男が問いかけた。
「何すか?」
「お前って彼女いる?」
「いえ…少し前に別れて……その…今は」
「ふんふん」
 正直な返答に、その男は一抹の希望を見いだしたような表情を見せたが。
「聞いてどうすんだよ、そんなの」
「当てになんねぇって」
 何がそんなにおかしいのか、五千円と言っていた残りの二人が吹き出しそうな顔をする。
「まぁ、そうか」
「あの……っ!」
 苦笑した男に峰岸が声をすがらせる。
 勝手に進行していく会話の内容がさっぱり分からない。
 どう見ても自分が関わっているとしか思えないのに、問題の焦点が全く見えないというのが何とも不気味である。
「いや、いい。お前は気にすんな」
「そういう事」
 だが、あっさりとかわされて当惑顔となった。
「……な、なんスか……」
 気にするなと言われてもこれだけジロジロと見られたら気にしないでいられる訳もない。
「大丈夫だって」
「何があっても俺達はお前の事を見捨てねぇからよ。な?」
 そう言われても峰岸にとっては何ひとつ意味の分からないままに。
「って事で、この話は終わりだ」
 事態は一区切りついてしまったようだった。

―――後はお前の出方次第なんだよ。

 新入りが入るたびにチーム内で行われている――秘密裏ながら恒例ともなっているその恐ろしい賭を終えた男達の胸中が分かるはずもない。
「………はぁ」
 釈然としないながらもそれ以上突っ込むわけにも行かず、峰岸はまた母親手作りの弁当をつついて口に運び始める。
 その視線をふと動かすと、数メートル離れた場所で昼飯を食べている憧れのチームリーダーが目に入った。
―――メシ食ってる姿も格好いいなぁ、須藤さん。
 若いだけあって――かどうか知らないが――切り替えの早い峰岸は先ほどまでの困惑もどこへやら、その姿をじっと見つめながら胸の中で感嘆の呟きを洩らしていた。
 緑の大地にどっかりと胡座をかき、長い手指で箸を操り、漆塗りの重箱とおぼしき弁当箱を口元に寄せ中身をかき込んでいる京一の姿に見惚れる峰岸は、箸の先を口の中に突っ込んだままで無意識にモギュモギュと咀嚼する。
「ん、どうした?」
 それに気付いた周囲の男達が青年の視線の先を追う。
 そして同じ方向を向いた四人に興味を惹かれたのか、周囲で昼飯を食べていたチーム員らも「ん?」と同じ方角へと顔を向けた。
 と、折しも。
 京一の隣で似たような黒塗りの弁当箱を広げていた清次が、不意に京一の顔へ手を伸ばしたところだった。
 それを目にしたチーム員らが一斉にザァ―――ッと凍る。
 そんな事は知らぬげに。
「―――何だ」
 箸を止めた京一がチラリと目を上げた。
「メシ粒」
 言いながら清次は、指で京一の唇の脇からつまみ上げた白い米粒を、自分の口元へと運んだ。
「ん?……ああ」
 気に掛ける様子もなく言った京一は、平然とした顔で食事を再開する。
 だが、周囲はシン……と静まり返っていた。
 皆、ひく―――と口許を引き攣らせたまま、動きもそのままに固まっている。
 それも当然といえば当然であるかも知れなかった。
 これが男女の間の出来事で、彼女の手作り弁当を彼氏が食べているのだとしたら、その光景に違和感はない。全くどこもおかしくも何ともない。
 微笑ましい光景だとすら言える。
 だが、それが非常に体格の発達した男二人の間の出来事で、片方の男が食べているのはもう片方の男の手作り弁当だという厳然たる事実を踏まえた場合。
 更にそれを目の前で堂々と見せつけられた場合。
 あまつさえ。
 恐ろしいまでの違和感があったとしても―――それが仲睦まじい光景として目に映った場合。
「………………」
 だが、京一にはこの一連の出来事に何の関心も―――それこそ欠片もなく、清次の方にも何の意識もなくごく自然にやっている事が分かっているだけに。
「………………」
 何と言えばよいのか。
 そう、妙におかしいと言うか。
 妙に―――。
「ああ食った食った!」
「俺も腹いっぱい、だぜっとッ」
「うげッ!タバコ切れてら」
「あ、オレが一本やるよ。なッ?」
 硬直していたチーム員らの動きが唐突に元へ戻り、それと同時に賑やかな喧噪も再現される。
 いささかぎくしゃくとしながらも、何事も見なかった事にしたいと望んでいるかの如く。

 本能的な恐怖から、彼らはそれ以上の興味を追求する事を放棄してでも、穏やか且つ和やかな風景を再現する事を選んだのであった。

 しばらくして。
「京一、それ寄越せよ」
「ああ」
 京一の手の中から空になった弁当箱を受け取り、その足元からも同じような箱を拾い上げた清次は、それを自分の弁当の上に乗せて元通りの四段に重ね、取り出した時と同じようにまた唐草模様の風呂敷の中へ詰めた。
 身軽く立ち上がると、萌葱色のそれを片手にぶらさげながら白いランエボへと足を向ける。
「岩城さんて、すげえ気配りの人っすよね」
 そんな清次の後ろ姿を見ていた峰岸が、またもや箸の先をくわえながら口にした。
「ああん?」
「は?」
「そうか?」
 その場の三人が何だそりゃという声をあげ、ついで顔を見合わせる。
「どこ見てそう思うんだ?お前」
 代表してひとりが慎重にそう尋ねる。
「ほら、だって。岩城さんていつもリーダーの動きを見ながら行動してるじゃないスか。阿吽の呼吸つうか、理想的なリーダーとセカンドの姿つうか」
 伊達に長年エンペラーの追っかけはしていない峰岸である。
 目端の利く機敏な性格でもあり、今までに読み取ってきた情報はかなりの量であった。
「何で岩城さんが須藤さんの分も弁当持ってきてたか知ってます?」
 そしてドライビングの技術を上げるため個人的に清次とパイプを繋げていた峰岸は、それなり清次の事にも詳しかった。
「知らねえ」
―――あんまり知りたくねえけど。

 京一が好きだからとか京一が好きだからとか京一が好きだからとか。

―――言われたらどうすんだよおい。
 そう思いつつも。
「何でなんだ?」
 ついつい恐い物知りたさで口の滑りがよくなってしまう面々であった。
「須藤さん、放っておくとロクなもの食べないから――あ、これは岩城さんが言ったんスけど――栄養管理してるらしいですよ?」
「そ……そうか」
 無意識のうちに身構えていた男達がほっと胸をなで下ろす。

 あんまり聞きたくない内容だったけれど想像してたのと違ってよかった。

 言葉にすればそういうことになる。
「そういや呼び捨てしてるのも岩城さんだけだし」
 言いながら、峰岸はエンペラーってセカンドだけがリーダーを呼び捨てにできる特典でもあるんだろうかと埒もない事を考える。
 だがせめて。
「俺も京一さんって呼びたいけど。やっぱダメすかね?」
 おそるおそる切り出した。
「いいんじゃねえの?京一さん、あんまそういうの気にしない人だから」
 だからと言って呼び捨てにまで出来る心臓の持ち主そうそうがいる訳ではなかったが。
「うわマジすか!?すげえ嬉しいかも俺。さばけてるんだなぁ須ど…え、と……京一さんて!」
 リーダーの人格を都合よく形成しつつある峰岸が、感極まってわずかに頬を染めながら歓声をあげる。
「いや…そういうんじゃなくってよ。京一さんは……」
 さばけてるというよりは―――。
「よせよ」
「あ……ああ」
 京一がどうあろうと有能なチームリーダーであるという事実に変わりはなく。
 あん人はそういうのどうでもいいんだよ、と言おうとした男の口を、横にいたもう一人が首を振って止めた。
 よく言えば器が大きい、悪く言えば無関心だという事である。
「やっぱり岩城さんて京い…ちさんに信頼されてるんですよね。いいなぁ。オレも早くそうなり………あれ?オレ何かおかしな事言いました?」
 自分の説明の途中から、だんだんと複雑そうな表情になっていき、とうとう無言のまま自分を見つめ始めた先輩三人に気付いて、新入りが首を傾げる。
「信頼……ねぇ」
「……いいなぁお前。素直に物が見られて」
 心底羨ましそうとさえ言える口調でひとりが溜め息をつく。
「まぁ、清次がまめまめしい性格だってのも確かだけどな」
―――それだけじゃねえもんな。
「だけどあいつも不憫な奴だよなぁ……」
 京一が、メシはメシ、としか思っておらず、ホカ弁だろうがどこかの女の手作り弁当だろうが清次の手作り重箱弁当愛情入りだろうが全部一緒くたにしている事を知っている。
 合理的な頭脳と精密な腕前の裏には大雑把で気まぐれな顔をも隠し持っているリーダーに、彼らとて何度振り回されたか分からない。そう簡単に他人事だと笑い飛ばす事もできなかった。
 まあ、それすら幸せだという向きがチーム内に蔓延していることも事実ではあるが。
「何すか、それ??」
「いや、気にすんな」
「そうそう。今のうちだけかも知れねえから夢見とけ」
 そうしとけ。な?
 どこか諦めにも似た口調で言われて両肩をぽんぽんと叩かれた新入りは、納得がいかないながらも先輩連中にそうまで言われては何を反論もする事もできずに仕方なく、はぁ、と怪訝そうに頷いた。
 そこに。
「―――ミャァア」
 後部上方から、場違いも甚だしい動物の鳴き声が降ってきた。
「清次、お前……」
 峰岸の背後を見上げている男達の口から、呆気に取られたような声があがる。
「あ、岩城さん」
 驚いて振り返った峰岸は、そこに白エボから戻って来たらしい清次の姿を見つけた。
 だが、その腕に見慣れぬ―――わけではないがこの場では非常に違和感のあるものが抱かれているのを見て目を丸くした。
 見事なまでの漆黒をまとった猫だった。
 陽を受けて全身の毛が濡れ濡れと艶やかに輝いている。
 その中で、二粒の琥珀色だけが鮮やかな有彩色を煌めかせていた。
「よう、少しは馴染んだか?」
 子飼いとも言える青年に行き会った清次が、わずかに目を細めて笑いかける。 
「は、はい……ッ」
「普通……猫連れて来るか?」
 答えながらも口を開けて伸び上がるようにして清次の腕の中をのぞき込んでいた峰岸の脇から、呆れたような声がかかった。
「だってよ、コイツだってたまには外出たいだろ」
 無骨な腕に美しい毛並みの猫を抱いた清次が、いささか言い訳めいた口調で言う。
 だが当の黒猫は自分が話題に上がっている事には全く無関心な様子で、琥珀の瞳を周囲の景色に向けているだけであったのだが。
 ふと気を惹かれるものでもあったのか、スルリと清次の腕を抜け出して、しなやかな身ごなしでひと跳ねしたと思うや。
 トン―――と身軽く地面へと降り立っていた。
「おいッ、キョウ!」
 慌てたような清次の声にもどこ吹く風とばかりに、漆黒の生き物は草むらの中をまっしぐらに駆けだしていく。
「あんまり遠くに行くんじゃねェぞ!」
 ッたく飼い主の言うことを少しは聞きやがれってんだ。
 猫に向かって叫んだ清次はガリガリと頭を掻き、諦めたような口調で呟きながら京一の元へと戻っていった。
「キョウって、まさか……京一さんのキョウだったりして」
 その背が遠ざかるのを見送りながら、あはは、と峰岸は声を上げて笑う。だが。
「……………」
 自分を取り巻いた沈黙にひるんだように、その笑い声は尻窄みに消えていった。
「ええっと…そうなんすか?」
 何故だか、はばかるような心持ちになって小声で尋ねてしまう。
「知らねえんだよ俺達も」
「……ん、だな」
「ああ……」
「……知らないのにどうしてそこで黙るんです?」
 疑い深そうな顔つきになった青年が聞いた。
「清次の奴が付けた名前だぞ?……でもなぁ。だからって……聞けるかお前?」
「どうすんだよ?『そうだ』なんて言われたら」
「は?それはそれで別に困らないと思うんすけど」
 何かマズイっすか、と峰岸が不思議そうに首をかしげる。
「そうか……?」
「いや……どうだろうな」
 まずくはないのか?と既に判断基準が狂いかけて久しい男達は、互いに眉間を寄せ合う。
「ま……お前にもおいおい分かるさ」
「ああ……だな」
 各自あさっての方角を見ながら深く溜息をついた先輩格のチーム員達に、またもや首を傾げるしかない新入りの峰岸であった。

 エンペラーの人達って。
 思ってたよりも恐くねえけど―――恐くはねえけど。
 いい人多そうだし。

 でも何かちっと変わってねえ?

―――不思議なことが多すぎる……気がする。


 峰岸明。十九歳。チーム員としての第一日目はこうして過ぎていった。
 公然の秘密に満ちたエンペラーの内部機構に踏み込んだばかりである彼は。
 その恐るべき実体を未だ知らない。


 合掌。


                                   ― 了 ―