憩いのかたち

  










「なーアスマ。アースマちゃんっ」
 床に転がっていたカカシだったが、もぞもぞと躰を動かし始め、やがて寝台の上に向かって声を投げた。
「―――何だよ」
 無愛想な声が、それでも律儀に返ってくる。
「紅が風呂からあがってくるまでまだ時間あるよなぁ」
「あるんじゃねぇのか。あいついつも長風呂だから」
 壁にかかっている時計をちらと見上げながら言うと、アスマは短く吸いきった煙草を灰皿へと押しつけた。
「それじゃさ、あともういっぺんだけ抱いてもいい?」
 どんな案配なのか、カカシはふたたび劣情をもよおしたらしい。
 機嫌をうかがうようなその口ぶりの中には、ねだる響きを忘れずに織り交ぜていた。
 それなりの高等技術だ。
「……うん?」
 その声にごろりと寝返りを打ったアスマが下をのぞくと、待てと言われてお預けを食らっていますと言わんばかりの眼と視線が合った。

……やはり大きな犬に見える。

 両手両脚をきちんと揃えてしゃがんでいるカカシの頭を思わず撫でてしまいそうになったアスマだったが。
「何だ、今度は別の絡め手か?まあそれは構わねぇけどよ―――中のを掻き出してからにしろ」
 いいと言いながらも思い出したように顔をしかめ、憮然とした口ぶりで付け足した。
「……なか?」
 疑問符を飛ばしながら、床の上で両手両脚をそろえたままのカカシがちょこんと首を横にかたむける。
「――――――」
 アスマは無言のまま、親指をくいと自分の尻に投げた。
「何でだよ、せっかく中出ししてるのに」
 意味を悟ったカカシが不満そうな顔を見せる。
「…………せっかく、なのか?だから一体何を考えてるんだお前は?」
 唖然としたのもつかのま、忍耐を試されることになったアスマがどこか抑えたような響きの声を放つ。
「うん、そうするとさ。ヤるたんびに段々と中が濡れてきて具合がいいん―――どわッ!?」
 機嫌よく説明するついでによけいな目論見まで暴露してしまったカカシに向かって、轟ッという物騒な音とともに燃えさかる火球が飛んできた。
 見れば寝台の上でアスマが火炎印を組んでいる。
「キャンッ!!」
 ぼやぼやしている暇はない。泡を食ったカカシは犬さながらの声をあげると四ツ足のまま素早く飛びのき、すんでのことで火球を避けた。
「ちょっとアスマ!アスマちゃんッ何コレ!?何で追っかけてくるんだよ!!」
 よけたはずなのに方向転換した火球に追われたカカシが、コレどうにかしろよッと賑やかなわめき声をまき散らしながら二足歩行でドタバタと逃げまどう。
「追尾機能付きだ。獲物にヒットするまで追いかける。残念だったな、本気で逃げろよ」
「ちょっとそんな呑気に……うわぁ丸焦げになるッ!オレを殺す気かーッ!!」
「ま、そんなモンでお前が殺せりゃ世話ねぇわな」
 自分の周囲数メートルの所を走り回っているカカシには構わず、アスマはにべもない口調で言った。
「人のケツん中にさんざん出しやがって」
「なに?じゃこれ嫌がらせなわけ?くっそぅ―――悔しかったらアナ濡らしてみせろよッ」
 そう広くもない部屋の中で器用に逃げ回りながらもカカシが減らず口を叩き続ける。
「…………お前、場所分かってそれを言ってるのか?」
 脱力感に襲われながらもアスマの声が地の底を這う。
「へ?場所って?」
 逃げまどっていたカカシの足が止まり、顔の正面に飛んできた火球をひょいと身軽によけながら振り返った。
「お前が濡らせと言ってる場所だ」
 その様を目にしたアスマが、やっぱり逃げるフリしてやがったなと片眉を上げながら科白を吐き出す。
「分かってるけど。―――尻のアナ。とその中」
 その場にとどまり、執拗に追いかけてくる火の球を右に左にと器用にひょいひょい避けながら、それがどうかしたのかと言わんばかりの口ぶりでカカシが答えた。
「本当に分かってるのか?いいか、直腸だぞ直腸。濡らせっていうなら濡らしてやってもいいが―――お前は、腸液ズプズプ言ってる中に突っ込みてぇんだな?」
 せめてもの仕返しだとばかりにアスマがせせら笑う。
「……え。……え?……えええええっ!?」
 今は額当てに隠されておらず外界にさらされているカカシの両眼が、せり上がるように大きく見開かれた。
「いいか、言ったよな。濡れたらちゃんと突っ込めよ」
 ずい、とアスマがカカシに向かって指を突きつけた。
「ヤだもう何それッ!アスマちゃんたらお下品ッ。くびり殺した後でオトコ屍姦するときにはそりゃズプズプに垂れ流してるから滑りイイって聞くけどアレと一緒なわけ?オレはそんなのヤだからね!ったくもうこれだから暗部出身は――――」
 非難するような表情を浮かべながらカカシがさらに言い募ろうとしたところへ。

「てめぇもだろうがーッ!!」

 再びアスマの火球が炸裂した。
 その大きさと数が前回よりも数倍増している。
「ちょっとアスマちゃんっ!ぎゃーあああぁーっ!!」
 よける間もなく次々に飛来する火球に襲われてカカシが悲鳴をあげて部屋中を駆け回り始めた。
「ふん」
 その様を眺めて胸を晴らしながらアスマが嘲笑う。
「けどそれムード無いにしてもあんまりだろ!?腸液だよ腸液!!オレいい思い出ないんだから!始末する前にちゃんと浣腸させて綺麗な躰にしとかないと、くびってから持ち帰るのだってひと苦労なのに!けど実際相手を前にしたら大抵そんなことしてるヒマないし!!」
 カカシのその科白のどこまでが―――いやもしくは半ば本気なのか、その声には憤懣やるかたない響きとともにいささかの泣き声が入り交じっている。
「…………ムードがねぇのはどっちだよ」
 アスマにとて言い分はあるのだが、耳にした科白のあんまりさ加減に気力が萎えて怒声が出ない。
「俺にだっていい思い出なんかあるわけねぇだろ。気色悪ぃこと思い出させがって。傷はつけるな毒は使うな死体はそのまま持ち帰れって、そりゃ上は言いたいことだけ言ってりゃ済むだろうがよ、現場はそうもいかねぇんだ。任務なら仕方ねぇだろ、そんなの腰周りだけ切り取ってあとは別の布巻いときゃいいだけの話だろうが」
 苦り切った声でアスマがそう言い切った。
「なにそれ!うわ信じらんなーい」
 再びアスマを非難するような声をあげたカカシが、握り拳を口元に当てながら半泣きの表情を浮かべた。
 嘘泣きにしてはいやに真実味がこもっている。
「だってさ、オレなんか暗部服の下に浣腸溶剤もち歩いてたんだよ?」
 そう言うカカシの眼はどことなく潤んで見えた。
「……お前、妙なところで綺麗好きな奴だったんだな」
 さすがに哀れになったのか、同僚の新たな一面を初めて知ったアスマがしみじみとした口調で言う。
「別にきれい好きなわけじゃないってば。アスマちゃんは神経つながってないから嗅覚も壊れてるんだろうけどオレの鼻はちゃんとした―――」
「言うじゃねぇかてめぇ。もういい、しょせんお前も俺も暗部出身てことだろ」
 濁流のように垂れ流されるカカシとの長広舌をアスマが途中でさえぎった。その視線が険悪さを帯びている。
「―――で、俺たちはいつまで糞尿のことについて語り合ってりゃいいんだよ?」
 不機嫌さを隠さぬままのぶすりとした口調で尋ねた。
「だってそれはそっちが先に言い始めたんでしょー」
「―――ムードが欲しいってんならまずは先にそれなりのことをしてもらおうか」
 そう言いながらカカシをじろりと睨みつけた。
「なに。何だよ、何で今日はそんなに不機嫌なわけ@」
 アスマちゃん普通そんなことじゃ怒らないでしょ@とその余りの理不尽さにカカシがわめく。
 確かにカカシが言う通り、普段のアスマはどちらかといえば穏やかな気性の男であり、というよりいちいち怒るのが面倒くさいからという理由なだけであるが、めったなことでは怒りを見せることはないはずなのだが。
「―――お前がぶちまけやがるから、ケツん中が気持ち悪ぃんだよ」
 珍しくむっとした顔をしながらアスマが言った。
 一体どこがどう虫の居所が悪いものなのか、今日ばかりは何としても加害者であるカカシに後始末をさせたい心境であるらしい。
「えーでも、そんなの便所に行って屈んでイキめば簡単に出るでしょ」
 どうせ便所なんだし汚れても構わないし、アスマちゃんの中はキレイになるし。ほーら一石二鳥じゃない、とカカシがなおも立て板に水で減らず口を量産する。
「―――てめぇ。ヤるだけヤっといてその言い草か」
「だから悔しかったらアナ濡らしてみせ―――」
 低次元な争いがエンドレスな延長戦に突入しかけたかと思われたその時。

「…………がふぅッ!!」
「ぐが……ッ!!」

 男達が奇妙な声をあげながら唐突に躰を跳ね上げたかと思うや、ビクビクと痙攣した。
 だがすぐにうめき声すらも途切れさせ、重なり合うようにしながら次々にバタバタと床の上へ倒れ伏す。


「―――――天誅」


 彼らの遥か頭上から、女の冷たい声が降ってきた。
 部屋の中の空気に混じって、チリチリと蒼い稲妻の気配が漂っている。

「あんたたち下品すぎるわよ。この上忍の恥さらしが」
 いつのまにか部屋の入り口で仁王立ちになっていた紅が、細い眉を寄せながら吐き捨てた。
 その美しい面の上には、しごく迷惑そうな色がある。
 どうやらかつて自分までもが上忍というくくりで彼らと一緒に分類されて、何らかの被害をこうむった苦い過去でもあるようだった。
 ちなみに紅の得意技の一つとして「棚に上げる」という忍術――ではないのだがまあ似たような手法がある。

「カカシもゆっくり楽しみたいだろうと思ってわざわざ時間かけてお風呂に入っててあげたのに。いいかげん犯り終わったかしらと思って来てみればこの有り様?」
 低レベルな争いに終止符を打った女の片手には、パチパチと音を立てながら放電するプラズマをまとわせた、蒼白く輝く大車輪の姿があった。
 火遁幻術、転回雷火輪。
 紅の得意とする忍術――こちらはれっきとした忍術である――のひとつである。
 それは、宙に向かって投げつけると楕円軌道を描きながら中空を横切って獲物に襲いかかり、最後には手元に戻ってくるという便利な武具であり――車輪に絡みついている蒼白いプラズマは数千ボルトにものぼる雷火の光であった。
 遣い手以外の人間でその火輪に触れたものは、すべて感電するというぶっそうな代物である。
 むろん雷火をまとわせているのは紅の火遁幻術によるものであるから、普通の者が使ってもそれはただの大きな鉄の車輪でしかない。
 しかしその前に、鉄の塊であるそれを軽々と振り回すことが果たして普通の者にできるのかという疑問もあるのだが。まあとにかく―――。
 空中に少しでも雷火の気配さえあれば術式化できるという、手軽な割には殺傷能力がひじょうに高く、なかなか便利な武具なのである。
 特に冬である今は、実際の雷火を空から呼び降ろさずとも、あたり一帯の静電気を根こそぎ吸いあげてチャクラを介して注入すればそれは実現できるのだった。

 紅は雷火を呼び出してぶじ獲物を仕留められる。
 周囲に住まう木の葉の里の住人は、厄介な静電気としばらくの間おさらばできる。
 遣い手にも世間様にも、なかなかお役立ちで優れものな忍術と武具であると言えた。
 そしてその遣い手である紅はというと。

「カカシが終わったら次はあたしがアスマに乗る番だったのに。ったくもうアミダで負けたのが敗因よね」
 いまだパチパチと火花を散らす雷火輪を片手に、赤い唇を噛みながら悔しそうに呟いている最中だった。
 カカシとふたりしてその順番を決めたのだが、今夜はクジ運が悪かったのである。
「せっかくお風呂からあがってきたのに、アスマったら寝コケけてるし」
 お前がいま寝かせたんだろうと言う者は―――否、言える者はこの場にいない。というか誰ひとりとして意識がない。
「ほんとに役立たずね。……ってそのまんまだわ」
 アスマの躰でたっぷり楽しんでやろうと目論んでいたらしい紅が、倒れている男を不満そうに睨みつける。
 明日は待ちに待った給料日なので、ここのところ懐が寂しいことでたまっていたストレスを発散すべく、景気づけの前祝いで今夜は一発、と楽しみにしていたのだが。
「この際カカシでもいいんだけど、こいつも寝てるし」
 もう一人の同僚に近寄って、ごんッ、と爪先で銀色の頭を蹴りとばしてみたものの反応がない。
「ダメねー」
どうやら今夜の楽しみはなくなってしまったらしいと知って、紅はしごく残念そうなため息をついた。
 頭の中で考えていることがどうあれ、ほぅ、と物思いにふけるその横顔は文句なしに美しい。

「……まったくもう。聞いてるこっちの方まで糞尿臭い気分になってきちゃうじゃないの」
 美しい女の美しい形をした唇から非常に似つかわしくない台詞がもれた。
 男どものやり取りを思い出したらしく、細い眉を嫌そうにひそめている。
 発言内容がどうであれ、曇らせたその顔もまた美しい。
「もう一度お風呂に入ってこようかしら……」
 ひとり言を呟きながら紅が真剣な表情で悩み込む。
 この家に夕飯を食べにきた彼女は食後、カカシとのアミダに負けて仕方なく、それなら勝手知ったる他人の家とばかりに風呂を借りたのだが、いい気分で湯からあがってきた所に、アスマが常に誰かしらと繰り広げているこの日常茶飯事的な痴話喧嘩と遭遇したのだった。

 そしてその低レベルな争いを問答無用の力づくで調停した彼女ではあったが。
「牛臭かったり馬臭いならまだしも肥だめ臭くなっちやったらどうしてくれるのよ?」
 そういう自分の発言自体、彼らとあまり変わらないレベルである事に気付かない辺りが、紅の長所でもあり欠点でもありまた愛嬌――とそう言える強者が果たして存在するのどうかは定かでないが――なのでもあった。


「ほんとに迷惑な奴らよね」
 ひとしきり自分の匂いを気にしていた紅は、雷火輪の餌食となった同僚たち――元凶とも言える彼らへと視線を向ける。

「今さら叩き直そうにも遅いだろうけれど、あたしが教育してあげたわけよ。有り難く思いなさい、あんた達」
 ふんと鼻先で嘲笑いながら、紅は満足そうな口調で男共にそう言いはしたものの―――。
 当然ながら紅本人以外、部屋の中で生けとし生けるものはすべて人事不省に陥って死屍累々の状態であり、くだんの男ふたりはどこまでも仲良く折り重なって気絶中であるその場所では。


 残念ながら紅のその決め台詞を聞いている者は誰ひとりとしていなかったのだった。






                                             ― 了 ―