正しい車載ビデオの使い方


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「こいつ外せ。ウチにはいらねぇ」
 薄暗い部屋の中でブラウン管の映し出す映像を眺めていた京一が、口を開く。
 世間話でもするような、気負いのない口調だった。
 その眼は特段の色も浮かべぬまま、上下左右へとブレが多くて今にも酔いそうな車載映像へと向けられている。
「京一?そういう話じゃねェよ。こいつは何で自分をバトルに出してくれねェのかって……」
 ベッドの端に腰を下ろしている清次が、どうしたと問うような視線を脇へと降ろす。
 暗がりの中では、京一が長身をのばして長々と寝そべっていた。
 清次の部屋は床の上に物が散らかっているため、空いている場所といえばベッドの上しかないのである。だからここへ来るといつも京一は、部屋の主を押しのけて自分の家にいるような態度でそこを独占しているのだった。
「言ったろ?出す出さねぇ以前の話なんだよ」
「でもよ、こいつはこいつなりに努力して―――お前もそれは知ってるだろ?」
「―――清次」
 その声に反論を許されていないことを悟った清次であったが、しかし事はチーム員一人の命運を分けるものである。
 セカンドという自分の立場からしても、そうそう黙ってばかりもいられない。
「おい、待てよ―――京一!」
「結果が出てなけりゃ意味がねぇんだよ。外せ」
「京一ッ!」
 こっちを向けよ、と清次が声を荒くする。
「口で言っても分からねぇようだったら躰で分からせろ。叩き出していい」
 ゆっくりと振り向いた京一が言った。
 妥協はしない、と冷ややかなその眼が告げていた。
「赤城の誰かさん所とぁワケが違うんだ。大所帯を持つ気はねぇよ」
「だってよ、そりゃ今は伸び悩んでるが……」
「物事を正確に捉えろよ。伸び悩んでるんじゃねぇ。確実にタイムが落ちて来てる」
 言い聞かせるような京一の視線が清次を見る。
「それも限界ぎりぎりの無茶やって叩き出してるものだ。一本一本を何の裏付けもねぇただの勘で走ってる。ラインも毎回違う。だから何本走っても安定しねぇ」
 腕を伸ばして床に落ちていた紙片を拾いあげ、ざっと眼を通した京一はそれを指先で弾き飛ばした。
 細かな数値を書きつけられた紙が、まっぷたつに裂けてひらりと舞い落ちる。
「それにな……多分こいつは放っておいても近いうちに潰れる。それもクラッシュって最悪のおまけ付きでだ」
「そんなこた分からねェだろ?」
「分かるさ」
 京一の唇が、確信を込めて酷薄に歪む。
「…………」
 無言のまま、清次がじっと京一を見つめた。
 食い入るようにして自分を見つめる男に、京一が深い息を吐く。
「………速くなりそうな奴と、速くなるのに苦労する奴がいる。速くなれねぇ奴も」
「そんなこたァ俺だって知ってる」
「こいつには、速く走ろうって欲だけあって速く走ろうって意識がねぇ。俺やお前がこいつに何度同じ事を教えた?」
 一つ一つを言って聞かせた結果がこれだと目線を向けた。
 その先では、ブラウン管が変わらずに車載ビデオの映像を流し続けている。
 それを見れば、ドライバーの腕のほどは一目瞭然だった。
 映像の中の光景がブレを繰り返すのは、急激なトランジット―――荷重移動のせいだ。
 突っ込むだけ突っ込んで、クルマの両頬を張り飛ばしながら自分の言うことをきかせようとするような一方的さにも似たブレーキング。
 こじられるステアリング。
 緻密さの片鱗もうかがえない乱雑なアクセルワーク。
 だが映し出される光景の流れ方から類推するに、スピードレンジだけは高い。
 車体が―――映像が安定していないのは当然だった。
「一度は教える。二度なら許す。三度は見逃す。だが……それ以上はもうダメだ」
「……京一」
「あいつ自身が辛くなってきてる。そろそろ限界だろう」
 見てて分からねぇか、清次。
「俺達は峠の走り屋だ。サーキットじゃねぇ。だからタイムをとやかく言うつもりはねぇが―――こいつの場合」
 京一が顎先で映像を指す。
「それが落ちて来てるのは焦ってるからだ。危ねぇ走り方してる。バトルに出さなかったのはそういう理由だ。相手巻き込んで自爆する。手助けしてやれる領域でもねぇだろ」
 外すと言ってもそれは当のチーム員を思いやっての言葉かと、わずかな安堵を覚えたのも束の間。
「今の時期、サツの手入れが厳しくなってる。こいつのせいで他の奴らがとばっちりを食う」
「…………」
 だから切り捨てるのかと清次は言葉を失った。
「少数でもいいタマ揃ってりゃあ、不発弾はいらねぇ」
 庇い立ては無用だと何の感慨もなくそう口にした男に、清次はどれが京一の真実なのか分からずに混乱する。
「俺は慈善事業をしてるわけじゃねぇんだよ、清次」
「………」
「人には向き不向きってのがある。ウチには向いてなかったんだ。そう思え。縁がなかったんだ」
「……キツいぜ、京一」
 どうしようもない事だとはいえ、清次は同じ夜を走っている者として突き放しきれずにちいさく呟く。
「もう一つある。あいつは偵察に出した先の峠で喧嘩を吹っかけたんだ。裏からクレームが来た」
 それには応えることなく、京一が話題を変えた。
「……バトルって事か?」
 唐突には頭を切り替えられず、清次がけげんそうな表情を見せる。
「ああ、ウチの名前しょって相当暴れたらしい。それも負けやがった」
「……負けた……だと!?」
 ガバッと身を起こした清次が京一を凝視する。
 チームに関わることとあっては聞き流せるはずもなく、その血相が変わっている。
「俺には隠してしらばッくれようとしてたらしいがな」
「何ィ……そんな話は聞いてねェぞ……」
 ぎらりと物騒に眼を光らせた。
「あちらさんとは知らねぇ仲じゃなかったんだ。話はつけてきた」
 どうつけてきたものか、語調も変えずに終わったことだと告げる京一に清次が唇をひん曲げる。
 一つ息を吐くと、不承不承ながらも頷いた。同時に、
「だがまあ……それなら理由としては十分、か」
 周囲への言い訳が立つかとあからさまにほっとする。
 だが―――。
「チームの連中には言わねぇでいい」
 清次に視線を向けることなくあっさりとそう口にした京一に、驚愕の目を向けた。
「……周りに言わねェで首切るのか」
「そんなくだらねぇ話は、俺とお前だけが知ってればいいことだ」
「けどよ…俺は理由も言わずあいつにそんなこたァ  」
「構わねぇ。お前が言いにくいようなら俺から言うさ」
 言いかけた清次の行く手を、京一の声がさえぎった。
 静かなそれは初めから自分の手で為すことを予期しているような口ぶりだった。
 京一は、自分の手を汚すことをいとわない。
 この話は終わりだ。
 そう言って横顔は、暗がりの中で煙草に火をつけた。


 言うこともなかったのか、それきり京一は口を開かなかった。
 清次も話の接ぎ穂をなくしたまま、じっと黙っていた。
 そして、車載映像が唐突に途切れた。
 気まずい時を過ごしていた清次がほっとして、リモコンを探そうとした、瞬間。
『あっ―――あっアぁあ―――はぁっ』
 画面は突然、結合の局部も露わな男女のセックスシーンへと変じたのである。
『やぁっ―――あっあぁ、んっ』
 せわしない女のあえぎ声が部屋の中いっぱいに響き渡る。
 入りまじる規則的な打擲音や濡れた粘膜の音が、画面へと目を向けた二人の耳をかすめていく。
「……な……何だこれァ―――ッ!?」
 突然の出来事に茫然として動きを止めていた清次が、怒りに満ちた吠え声をあげる。
「―――裏ビデオだな」
 横合いから冷静な声が指摘した。
「そんなこたァ見りゃ分かるッ!!」
 清次はリモコンをその手に掴もうと、闇雲に周囲を探りながら怒声を響かせる。

 こういうのは―――俺が。
―――やべェんだよ…!!

「俺が言いたいのはだな、何でこんなもんがッ……!!」
 声は焦りを帯びていた。

 清次にとっては非常にありがたくない事態だった。
 こんなものを観ていたら、清次の雄はあっという間に煽られる。
 それはいい。
―――それは構わねェんだ。
 この部屋の中にいるのが自分一人であれば何の問題もなかった。
 清次だとて、一人きりの時であれば欲望を処理するためのAVぐらいは観る。
―――だけど………よ。
 まずいのは、自分が置かれている今の、この状況だった。
 この場合―――。
 清次の欲望はブラウン管の中の女優に向くのではない。
 それが向かうのは―――。
 隣にいる男に、なのだ。
 ほんの少し手を伸ばせば届く距離にいる京一に。

 見るな。
―――見るんじゃねェ!!

 京一、を―――。

「これが入ってたテープを車載に積んで、上から重ね撮りしたんだろう」
 部屋うちに真面目くさった声が響く。
 どうやらご丁寧なことに説明してくれているらしい。
「それも分かってる!俺を馬鹿にしてるのか京一!?あいつもあいつだ!!何でこんなテープを使う!?ナメてんのか!?」
 八つ当たり気味に叫び散らす清次は、もはやぶち切れる寸前だった。


 京一と同じ場所でエロビデオを観ねェように気ィ付けてたってのに―――。
 今までの努力が水の泡だッ!
―――ど畜生が!
 お前なんかクビにでも何でもなっちまえッ―――!!

 唯一の味方を失ったこの時点で、チーム内におけるその男の命運は完全に尽きたと言えよう。
 京一はチームゆえに。
 清次は京一ゆえに。
 エンペラーのリーダーとその右腕は、ある意味、よく似た者同士の主従だと言えるのかも知れない。
「今晩いきなり言ったわけだからな。この辺に夜中開いてるコンビニがあるでもねぇし」
 仕方ねぇだろ、とあくまでも淡々と言った京一の視線が、ふら―――と泳いだ。
「……オンナ」
 見るでもなく画面を眺めながら呟く。
『ん―――んんっ…はぁっ…』
 ブラウン管の中では、男に貫かれている女が腰をくねらせながらあえいでいる。
「ああ?」
 動揺している清次はよく聞き取れずに、京一へと聞き返した。
「女、抱きてぇ……」
 京一がぼそりと言った。
「条件反射って奴かよ。どこか行って引っかけるか?雨降ってるけどよ、外」
 また始まったかと清次が苦笑した。
 自分の欲望に忠実で気まぐれなこの男が、その時々で気に入った男や女を抱いている事は知っている。それをまた京一が隠そうともしないから嫌でも目や耳に入って来る。
「雨?いつ降り出した……面倒くせぇな」
「さっきだよ。……それなら俺で済ますか?」
 相手の見てくれや性別にこだわらない京一は時々、清次にすら手を伸ばす事があった。
「自分と似たようなガタイの男、抱こうって気分でもねぇ」
『―――あっ…アァア……んッ!!』
 女優のあえぎ声がひときわ高くなる。
 清次が思わず振り返る。
「出るか?お前はどうする」
 京一が訊いた。
「……あ?」
 二つの躰が激しく絡み合いながらあえいでいる映像を見つめたまま、清次がぼんやりと反応する。
「抱きたいのはこういう女か?」

 その声に、清次の目から焦点が弾け飛んだ。

 視界に残像が浮きあがる。
 ぎしぎしとベッドの軋む音が脳裏に響く。
 光景が再現される。
 全裸の京一。
 さらされていた躰。

 ドアの隙間からわずかに洩れてきた、京一の息づかい。
 清次の耳には熱いあえぎにも似て聞こえていた、京一の。
 荒い呼吸。あえぎのように熱い。
 抱かれて……貫かれていた……躰。
―――あれ、は。
 清次の記憶の中で、熱い吐息をもらしていたのは。
 目の前の女の姿は消え失せて、自分の躰の下にいるのは京一だった。
『―――んッう、ん……はぁ、あ…ッ』
「清次?」
『……はぁっ……アっ……』
 せいじ―――。
 女優のあえぎ声と京一の低い声とが、二重にだぶって耳に聴こえた。
「……抱きたい……の…は…」
 清次が魂が抜けたような眼を泳がせた。その息がわずかに荒いでいる。
「………きょう…いち………」
 画面に視線を張りつかせたままで、ふらりと答える。

――――――ッ!?

 自分のその声で正気に返った。
 同時に、一気にざァ―――と血の気が引いていく。 

……いま……俺は………。
京一……に。
……なにを………言った……?

 愕然とした表情を貼り付かせながら、清次がゆっくりと振り返る。
「―――そうか」
「な、なんだよ」
 意外にも興じるような色を浮かべていた京一の眼に、清次はうろたえながらも身構えた。
「いや?物好きな奴だと思ってな」
「…ち、ちがッ……じょ…冗……だ―――」
「もういっぺん言ってみな」
 清次の言葉を遮るようにして京一が視線を向ける。
「きちんと言えたら考えてやらねぇこともないぜ?」
 含み笑いながら嘲るような声で言う。
「…………」
「言えよ」
 否やを言わせぬ、物慣れた口調。命令者の響き。
 逆らえるはずもない。
「……お前を………京一を!抱きてェ!」
 半ばやけくそのような声で清次が主命に従った。
 返ってくる侮蔑の表情を見たくなくてぐいと横を向く。
 どんなにか残酷な仕打ちが待ち受けているのだろうと、その身を固くこわばらせながら。
 だが。
「いいぜ」
 平然とした顔の京一は、あっさりとそう言ったのだった。
「……な………いま……何て……」
 愕然とした清次が顔をあげる。
「いいと言ったんだ」
 お前、耳悪ぃんじゃねぇのか、いや悪いのは頭かと呟く男をよそに。
「………きょう…い…」
 清次の唇から呆けたような声が洩れる。
「お前に犯らせるのは初めてだったか?」
 京一が、うろ覚えの記憶を探るような顔をした。
「……本気、か」
 茫然と目を見開いたまま清次が問い返す。
「たまにはいいだろ。―――来な」
 京一が、ぐいと顎を振った。