TIME on Your Side


 2  










 ガチャン。
 玄関の方で、扉の開く音がした。
 外から流れ込んできた空気に、リビングの窓を覆う遮光カーテンがさわと揺れる。
「誰だ……」
 ソファベッドの上でクッションを背にして、気怠げに半身をもたげていた京一の瞼が持ち上がり、唇がかすかに動いた。
 ここの鍵を開けられる人間は、ごくわずかながら存在する。
―――んなこたぁどうでもいいか。
 別に誰だって構わねぇ。
 ベッド脇にぶらんと垂らしている腕の先で、節の張った指に傾いたグラスの細い脚を挟んだまま京一は、ぱたぱたと誰かの足音が真っ直ぐこちらへ向かってくるのを聞くともなしにただ聞いていた。
 だが現れた人影を認めた瞬間、その眼がわずかに見開かれる。
「……啓介?何でお前がここへ来る」
 リビングに入ってきたのはあまりにも思いがけない人間だったのだ。
 だが。
「うわ何だよこの部屋!寒みぃっ!それに暗えっ!」
 外は真っ昼間だぞっ。
 扉を押し開けて一歩足を踏み入れた途端、啓介は京一の問いに答える間もなく次々と叫んだ。
 室内はかなりの低温に保たれている。
 今の今まで炎天下にいた啓介にとっては、まるで氷室にでも入ったかのような冷気だった。
 部屋裡の光源といえば、ごく一部開けられている遮光カーテンの隙間から入ってくる幾筋かの光条だけ。それが一層この場所を薄暗く寒々と見せているのだろう。
「そうか?」
 だが何も感じていないような口調で言う京一は、腰から下は毛布で覆っているものの、剥き出しの上半身は冷気に晒したままで平然としている。
「寒くねーの」
 信じがたい光景に啓介が眉根を寄せながら尋ねた。
 躰へと押し寄せる、ひんやりと冷たい空気にぶるっと身を震わせる。
「………いや。熱い」
 少し間が空いたのは、自分が熱いのか寒いのかを考えていたとでもいうのだろうか。まさか。
 熱があるのなら熱いのは当然だが、風邪を引いているのならもう少し病人らしい環境に身を置いてほしい、と啓介は思う。
 啓介自身も人よりは薄着な方だったが、これはさすがに寒過ぎると感じた。
 それが正常な人間の感覚―――である筈だ。
 だが、少し掠れたような声で言う京一からは、発熱のせいなのか啓介の記憶にある鋭さが影を潜めている。もともと寡黙で落ち着いている男だとは思っていたが、同じ静けさでも今はどちらかというと精彩を欠いているといった方がしっくりくる感じだった。
 よく目を凝らして見ると唇も渇いてひび割れている。
 どうやら病人である事は確からしい、と京一に人間らしさを見つけて啓介は息をついた。
「そっか」
 せめて服を着ておいた方がいいのではないかとも思ったが、子供でもあるまいしと思い直す。本人が熱いと言っているのだから取りあえずいいという事にした。
「お前が寒いんなら」
 エアコンの調節を教えようと、億劫そうな動きで京一が半身を起こそうとしたが。
「いいってそのままで。熱、あんだろ」
 やるときゃ自分で適当にやるからさ、と啓介がそれを止めた。
「………で、啓介。何でお前がここへ来る」
 再度、質問に答えろと冷えた目線が促した。
「華音が持ってけって」 
 これ。
 臆する風もなく両手を目の高さまで持ち上げて啓介は、デパートのロゴが入っている白いビニール袋を京一に見えるよう吊してみせた。
 小指に引っかけた部屋のキーをチャラ、と宙に揺らす。
 ロゴを読み取った京一はおおよその事情を把握して軽い息を吐いた。
 それは以前、自分と華音そして啓介が期せずして一同に会することになったデパートのものであったから。大方またしてもそこで二人が出くわしたのだろうと見当がついたのだ。
 それにしても。
「………お前らいつの間に、んな仲良しになった」
 いささか疲れたような声。
「華音てさ、なつこいじゃん。だからじゃねーの?」
 だってオレら2回しか会ってねーもん。
 啓介が、さぁと首を傾げる。自分についての自覚はないらしい。
「見てくれで女を判断するんじゃねぇ。あいつ強烈に裏表使い分けるぞ」
 そう簡単にくくれるもんか、と京一が顔をしかめた。
「そうなの?オレには優しいけど」
 それでいーじゃん。
 他のヤツは取りあえず関係ねーやとばかりに啓介が肩を竦めた。
「それよりさ、なんだよこの匂い」
 空中に視線を飛ばしながら鼻をひくつかせる。
 淡い花の薫りのような。
 冷気に交じって部屋全体に漂っている。流れる粒子が目に見えようかというほどに。
 最前より気にはなっていた。ただあまりの寒さがそれへの興味より勝っていたのだ。
「すみれ」
「あん?」
 意味を取れずに聞き返す。
「……それだ」
 くいと顎先で京一が指し示した方向に目を遣った啓介は、ベッド脇に転がっているものを目にして眉間にしわを寄せた。
 丸みを帯びたフォルムの酒瓶。
 その横には汚れた灰皿。ひしゃげた吸い殻が山と突っ込まれている。
 そういえば、と垂らされている京一の手に空のグラスがある事へ遅まきながら気付いた。
「まだ真っ昼間だって言ったろ!!熱があって?こんな寒い部屋で?そんで酒?飲んでんのかよ京一っ」
 怒ったような口調だった。当然の反応と言える。
 こんな薄暗くて冷えた部屋に寝ていて、口にするのは酒と煙草だけ。
 普通に考えても躰にいいわけがない。ましてや仮にも京一は病人なのだ。
 だが、とうてい病人のする事とは思えない。酒に強いのかも知れないが無茶苦茶だった。
 ボトル上部に捺された封蝋にかかっているのは鮮やかなブルーリボン。
 ル・コルドン・ブルー。
 フランスはマーテル社の誇るコニャックの傑作。
 薫るのはすみれの香。
 その商標までは分からずともボトルの凝った造りを見れば、それがよい品である事は啓介にも知れた。
 だが、だからといって仮にも病人が片手にして延々飲んでいていいような代物でもない。
 足早にベッドへ近寄ると京一の手から有無を言わさずにグラスを取り上げた。
 底辺にうっすらと残る、紅味の優った琥珀の酒。
 空いてなおグラスに残る、すみれの薫り。
 くん、と鼻を近付けて匂いを嗅いでみる。 
「きっつー………」
 薫りの集まるブランデーグラスの上部に鼻先を突っ込んでしまって、げほ、と噎せ込んだ。
 華やかで優美な、だが濃厚なその薫りは啓介には強すぎた。
「あいつから渡されなかったか、それ」
 しかめた顔の前でぶんぶんと片手を振っている啓介を無表情に眺めながら、酒瓶を目線で指して京一が問う。合間に、鼻先から薫りを追い払うことに気を取られている啓介の手から難なくグラスを取り戻していた。
「されてねーよ」
 これ以上まだ飲む気かと呆れながらも、啓介は転がっている瓶の側面に薄く溜まっている琥珀の液体に目を遣った。多分あとグラスに一杯あるかないかぐらいの残量。
「そうか」
 定期的に手許へやって来る倣いとなっている酒だったが、当面は華音の手でそれが断たれた事を知り、さっさと諦めた京一は最後の酒を注ぐためにそれへと手を伸ばす。
「メシ、あるよ。簡単なもんならオレが作ってやってもいいけど……」
 その様をそれ以上、ただ指をくわえて眺めている訳にもいかないと啓介が口にする。
 しかしどうやら調理は苦手らしく、わずかにその語尾が弱い。
「……ふ」
 鼻の頭を掻いている啓介を見て、ボトルの栓を開けながらも京一はつい笑ってしまった。
「てんめぇ。いま鼻で笑ったな?やりゃあできるんだよオレにだってこんなもんはっ」
 思わず赤くなりながら啓介が叫ぶ。
「分かった分かった。……だが腹は減ってねぇんだ」
 笑いの残る声で言った京一は、全て注ぎ終えた酒瓶を放り出してグラスの縁にかさついた唇を当てた。
 相手の出方を待つようにしてじっと啓介へ視線を据えながら、舌の上で薫りを転がす。
「食わないと直るもんも直らねーだろ。何か食えよ」
 京一の声に摂食への興味の薄さを感じ取って危機感を感じた啓介は、床に置き去りにしていたビニール袋を開けてその中からいくつかの食料を取り出すと、どれか選べと京一に突きつける。
 せっかく足を運んだからには何か食べさせて。薬もあるならそれを飲ませるぐらいはしてから帰らないと寝覚めが悪いという思いもある。
 所詮、自己満足の世界ではあったが。
「今はいらねぇって言ってんだろ。でもまぁ……コーヒーくらいなら」
 簡易調理できる食料の中にあって異彩を放っていた嗜好品、珈琲豆のパッケージを認めた京一が、グラスを掴んでいる指を一本外してそれを指差した。
「食いもんじゃねーよそれ」
 食料を両手に掴んだまま部屋の中央で仁王立ちになっていた啓介が、憮然として京一を睨み付ける。
「なら、いい」
 あっさりと言った京一は、ベッドに沈み込んで啓介から視線を外した。
「ちょ……ちょっと待てよ、分かった淹れるって!」
 あまりにすげない京一の態度に、啓介は思わず慌てて予定を変更する。
 コーヒーは確か刺激物だったはずだ。飲めば少しは食欲が湧くかもと一縷の望みをかけた啓介は、豆のままの状態で如何にも手間のかかりそうな物体をうんざりとした視線で見遣ると。やるしかねーのかよオレが、といささか頼りなげながらもその顔へ決死の覚悟を露わにして、珈琲豆のパッケージ片手にキッチンへと足を向けた。 




 ガラガラガッシャ―――ン。
「うわぁっ」
 分かりやすい破砕音をさせながら、またもやキッチンから啓介の悲鳴があがる。
「おい、大丈夫か」
 啓介はときおりキッチンから顔を出しては京一に、器具のありかやガスのつけ方、豆の分量などを尋ねながらもひとりで悪戦苦闘していたが、さすがに危惧を感じ始めた京一は紫煙を燻らせる手を止めてベッドの上から声を投げた。
「今度は割ってねーよ何にも!」
 豆挽いてるだけなのになんでサーバーが横で落っこちるんだよっ。
「そうじゃない。無理しねぇでいいぞ」
 意味不明な事を叫んでいる啓介のセリフに、ただでさえずきずきと不快な痛みを訴えていた頭の痛みがいや増したような気がする。
「うるせー!オレは男だ。やると言ったからには、はいそうですかと引っ込めるかってーの」
 何とかコーヒーにしてやるっ。
 意気込んで叫んでいるのはいいが。
「………それを飲まされるのは俺なんだが」
 京一は独り言のように呟いた。
「何か言ったかー?」
「いや。何にも」
 軽口の応酬をしている間にも。
 あれ、こっちに粉入れるんでいいんだっけ。それともこっちか?なんか違うな。
 首を捻っている啓介が目に見えるような声がぶつぶつと聞こえてきて目眩を覚える。
 このままでは本気で恐ろしい代物を飲まされる事は間違いない。
 ふぅ―――と息を吐いた京一は緩慢な動作で身を起こす。
 まだ長い煙草を灰皿へと押し込むと毛布をはねのけて立ち上がり、グラスを手にしたままゆっくりした歩調でキッチンに向かった。
「京一?何で来たんだよ、寝てろって」
 焦茶の粉が入った小さな木箱を手にしたまま、コーヒーサーバーを睨み付けていた啓介が顔をあげる。どうやら豆は挽いたものの次にどうすればいいのか分からないらしい。
「俺はコーヒーが飲みたい」
 ダイニングテーブルの上にグラスを置いた京一は、啓介の手からそれを取り上げると手際よくサーバーにフィルターと挽いた豆をセットした。
「?」
 だからコーヒー淹れてるんだろ?
 レンジの火にかけていた細身の青いポットを取り上げながら啓介が怪訝そうな顔をする。
「……いいから続けろ」
 それ以上の問いには答えずに、京一は目線で啓介を促した。
「変なやつ」
 京一を横目に見上げながら、啓介は上からじょぼじょぼと湯を注ごうとする。
「やめろ、そんなに入れるんじゃねぇっ」
 いきなり怒鳴られて、啓介の手に重ねられた大きな手でポットの傾斜を止められた。
「へ、だめなの」
「豆を蒸らすだけの量でいい」
 背後から、少し疲れたような男の声が降ってくる。
「ふぅうん」
 最初から湯入れてもコーヒーになると思うけどな。
 分かったような分からないような顔をした啓介は、戻っていく京一の手を目線で追いながら振り返る。離れていく温もりを惜しむように。
 ふと、そんな啓介の鼻先に淡いすみれの薫りが届いた。
 京一が再び手にしたグラスからだった。揺れる琥珀。
 く、と目の前の喉が仰向いて一口を呷る。
「調子悪りぃ時ぐらい酒、やめろよ京一」
 わずかに目線を上げて京一の顔を見た啓介は、顔をしかめながら言った。
「こんなもんで酔うか俺が」
「風邪引いてんだから、もうちょっと考えろって」
 見上げる啓介の瞳は真っ直ぐで、その声はとても真摯に聞こえて。
 皮肉げな表情を浮かべていた京一は、啓介をあやすように、ふ、と笑んだ。
 低下している体調と発熱とが京一から普段の冷たさを取り除いているのか。
 表情の下にかすか、優しさともいえるようなものを感じ取った啓介が思わず目を見開く。
 如何に体調が悪かろうとそれだけは変わらないらしい射抜くような京一の視線は、真っ直ぐに啓介を捕らえている。揺らぎのない深い双眸。帝王と冠される男の強烈な吸引力。
 どきん、と心臓がひとつ跳ねた。それからふたつめが。
 そして段々と早く。
「どうした」
 啓介の長い沈黙を訝って京一が尋ねた。熱のせいでいつもより掠れた低い声。
「何でもねーよ」
 啓介は、蒸らしている豆の具合を見ようとするかのような素振りで前に向き直る。
 胸の鼓動がなかなか収まらない。
 背後にいる男の大きな気配。温かい肌の匂い。
 温かい―――いや熱い?
 熱を帯びている京一の躰を唐突に意識する。
 熱を帯びて―――。
 そりゃ風邪引いてて熱があんだから当たり前だろ?
「あ、これさ。もう湯足してもいーかな」
 後ろにいる男の気配に動揺しながらも啓介が、努めて自然な声を出そうとする。
「ああ」
 ……もういいだろう。
 京一の掠れた低い声が、啓介の耳許で響く。
 耳許で―――。
 男の呼気が首筋に当たり、背筋にぞくりとした感触が這いのぼっていく。
 身長がそう変わらねーんだからしょうがねーだろ!!
 何考えてんだオレ。何に反応してんだオレの躰。
「どうした、啓介」
 どうした―――。
「うわぁっ」
 止まるどころか更に強まる感覚に鳥肌を立てていた啓介がびくんと過剰な反応を見せる。
 手にしているポットの蓋が、カタカタと危うげな音を鳴らした。
「あぶねぇだろうが」
 気付いた京一が、啓介の手からそれが落ちる前にいち早く取り上げる。
「わり…ぃっ」
 声が震える。背筋を這い上がる痺れが止まらない。
「……啓介?」
 安全な場所にポットを移し終え、啓介の顔を覗き込むようにして尋ねた京一の眼に惹き寄せられた。その引力に抗えず、凍ったように啓介の身動きが止まる。
 どうした?
 問いを繰り返す京一の双眸にかすか浮かんだのはあたかも。獲物を追いつめる獣のような光。
「啓介」
 硬直したまま目を見開いている啓介の唇へ、ゆっくりと口吻けた。唇だけが触れるキス。
 途端。
「―――は」
 糸が切れたようにがくんと、啓介の躰から力が抜け落ちる。
 京一は力強い腕でそれをしっかりと受け止めながら、与える口吻けを深くした。
 熱い舌で啓介を探り、柔らかく吸い上げる。
「……っん」
 啓介がびくりと身を竦めた。
 衝動的に突然。身の裡へ、押さえがたく甘美な欲求が込み上げていた。
 戸惑いながらもそれに逆らえず、啓介は拙い舌の動きで京一に応え始める。
「ふ……」
 この男とキスをするのは二度目だった。煙草と酒の匂いがする京一の唇。
 男の広い背中に腕を回そうとしてダイニングテーブルの上空を彷徨った啓介の肘が思いがけず、そこへ置かれていたブランデーグラスを突き倒し。透明なクリスタルの中で大きな弧を描くようにして琥珀の液体が揺れた。
「あ」
 カッシャ―――  ―ン。
 気付くのが一瞬遅く。
 床へ向かって一直線に墜落した華奢なグラスが、硬質に澄んだ音をさせて砕け散る。
「ごめっ」
「いい、貰いもんだ」
「でもっ」
「啓介」
 惨状を確認しようとした啓介の顎をそっと、だか容赦のない力で掴んで京一が妨げる。
「う……んっ」
 割れたグラスの欠片から、床の上を滑るようにしてトロリと広がる琥珀の酒から。
 噎せ返るように立ちのぼり目眩すら覚えるような、すみれの香。
 薫り立つそれに脳の奥が痺れて蝕まれていくような、くらりとした浮遊感に。
 啓介は再び、男の唇とその舌の侵入を許していた。




「京一の躰って、かっこいーよな」
 オレもいつか、こんなんなれるかなぁ。
 京一の上半身に目を遣って羨ましそうに言いながら、啓介がマグカップに唇をつける。
 数度のキスを交わした後でようやくのコーヒーを淹れ、ふたりはリビングに戻っていた。
 ソファベッドに身を横たえながらコーヒーを味わっている京一の横に腰掛けて啓介も同じものを啜っている。
 薄暗かった先程までとは打って変わり、部屋裡には明るい陽光が満ち溢れていた。
 リビングに戻って開口一番、やっぱ寒みぃ!と怒鳴った啓介は、さっさとエアコンの調節を見つけて止めるとその足で、窓を覆っている遮光カーテンを全部引いて端に止めたのだ。
「まだ伸び盛りみたいだな。食って動いてりゃそのうち肉付くだろ」
 自分の薄い躰を見おろして溜息をついた啓介に、京一があっさりと言った。
「そーかなー」
 啓介は半信半疑の口調で言いながら、男の上半身に目を戻す。
 何をしたらこうまでなるのかと思える程、実用的な筋肉を纏って鍛え上げられた京一の躰。
 分厚く盛り上がった広い胸板。くっきりと割れ目を見せて引き締まった腹。
 滑らかに張り詰めた皮膚の下には強靱な筋肉がひしめき、必要とされるその時をいつでも待ちかまえているような。恐らくは満ち溢れる瞬発力とバネとを秘めていて。
 男なら誰もがこうありたいと、喉から手が出る程に欲しがるだろうと思える見事な躰だった。
 啓介は手にしたマグカップをサイドテーブルに置くと、無意識に伸ばした人差し指で、鍛えられた腹筋の割れ目をつ ― となぞり降ろしていく。指に返る、張り詰めた弾力が心地よい。
 カップの熱さを含んでいる啓介の指が。
 ゆっくりと肌を辿り、かすかな熱を残しながら男の躰の上を這った。 
「……お前、どこでそんな手管覚えてきた」
 京一の口許に苦笑が刻まれる。
「え。てくだってなに」
 平仮名の発音で言って啓介が不思議そうな顔をした。
「わざとじゃねぇってか」
―――余計たちが悪りぃな、あいつの弟だけはあるって事か。
 無言で啓介を見つめた。
「ん、だよ……」
 訳も分からぬまま、じっと見つめてくる男の双眸に気圧される。
「そんな事をされるとな、男は」
 こうしたくなるんだよ。
 頸の後ろを掴んで引き寄せた啓介の唇に自分のそれを押し付けた。
 お前はならねぇのか。
 頭を持ち上げる京一の首に、くっきりと太い腱が浮き上がる。
「京一……っ」
 目を見開いて瞬間、反射的に抗おうとした啓介だったが、今更何を―――と京一は構わず舌を滑り込ませて唇をおおきく開かせると、中をざらりと舐め上げる。
「ん…っ、きょう…いっ」
 不安定な態勢に自分の躰を支えきれず目の前の胸に手を付いた啓介と、その重みを受け止めた京一がどさりとベッドの上に倒れ込む。
 啓介はあきらめたようにそのまま、男の躰の上で全身の力を抜いた。