TIME on Your Side


  3 










 「オレ、京一とキスすんの好きみてー。きもちいい」
 もしかしてオレ、京一の事好きだったりすんのかな。
 長いキスからようやく解放された啓介が、京一の胸の上でぼうっとした視線を宙に向けながら呟くようにして言った。
「俺も好きだが」
 胸の上に載せられている頭へと目を遣る。
 勢いよく跳ねている金茶の髪の間から見える睫毛が、思いがけなくも長い。
 京一に何度も甘噛みされて紅く色づいた唇が、不満そうな形にわずか尖るのが見えた。
「……嘘、ついてんじゃねーよ」
 頭をもたげて京一を見上げた啓介が疑わしそうに言う。
「そうか?」
 返るのは軽い口調。
「やっぱ嘘じゃん」
 啓介が得意そうに言った。
 京一がそう簡単な類の人間でないという事ぐらいは、如何に付き合いが浅かろうと今まで目にしてきた京一の数々からはっきりと感じ取れる。
「だが、嫌いじゃねぇさ」
「……ま、そんぐらいなら嘘でも許してやる」
 何をどう許すというのか。
「ありがとよ」
 付き合いよく言いながら京一は肩を竦めた。
 くすくすと笑った啓介に触発されて、しょうがねぇなというように京一も低い笑い声を響かせる。実際のところ、好悪の感情が希薄すぎる京一にしては珍しく本当に、嫌いではなかったのだが啓介は信じなかったらしい。
「じゃあもう少し試してみるか?」
「なにを?」
「俺を」
 言葉と同時に再び唇をふさがれた。
 腹から滑り込んできた京一の手が、啓介の胸を撫でながらゆっくりと這い回る。
「んんっ」
 突起を探り当てた指先にそれを押し潰されて啓介がひくりと身をよじる。
「いやか」
 少しだけ離れた唇の合間から低く、言葉が洩れた。
 掠れた声とともに吐かれた京一の熱い息が頬にあたる。問うような言葉であるにもかかわらず、その強靱な腕は離れがたく強い力で啓介を腕の中へ捕らえたままだった。
「………京一」
 啓介は息を詰めて目の前にある男の顔へと見入る。そこへ浮かぶのは静かな表情。
 だが、啓介と触れ合っている京一の胸と腰からはどくどくと強い鼓動が伝わって来ていて。
 啓介にも京一が今、男として自分を欲しがっているのが分かっていた。
 それでも答えを聞こうとしているのはおそらく、以前ここへ来た時に自分は最後この男を拒んだからだ。
 でも今だって。聞かれたからってそんな事、すぐに決められる訳がない。
 だけど自分が京一から感じるのは。この男と深く交わった時に自分が感じるのはきっと。
 兄との交わりのように、あるべき場所にあるべきものが収まる予定調和ような。ふたりだけで織りなす無音のごとき世界で溶け合う静かに熱い触れ合いではなくて。
 知らず魂切る咆吼をあげている自分に気付き。その凶暴なまでに滾る熱さへ制御不能に陥りながらも、身の裡に漲る力をふるう事に歓喜の声をあげる。
 そんな狂ったように歯痒い感覚。瀬戸際のせめぎ合いのような。
 結末を畏れずに突っ走る。たまにはそんなさなかへと身を投じたくなる時もある。男なら。
 この冷たく静かな男が渡そうとしているような、熱い激しさの中へと。
「京一」
 小さく名を呼ぶ啓介の声からは迷いが薄れていた。
 きっと重いのだろうこの男の全てを受け止めるられるなんて思ってない。
 そんな思い上がった事は考えていなかった。
 自分だってこの先どうなるかなんて分からない。
 でも、今、この時だけ、なら。
 本能的な嗅覚。
 強烈な輝きを放ついのちに満ち溢れたこの男と一瞬を共にできるのなら。時を走れるのなら。
 感情の奔流。
 惜しくない、と思った。
 うん。
 何も考えずにただ、自分の研ぎ澄まされた感覚のみを信じて頷く。
 そうやって自分はここまでを生きてきた。
 いいよ。
 啓介は、京一にゆっくりと口吻けた。



「……ぁあ!」
 深く打ち込まれている漲りに箇所を抉られて、啓介がびくんと身を震わせる。
 二人分の重さを支えているソファベッドが、その動きでギシと軋んだ。
「ここか?」
「う…ん、い、い……そこ」
 京一にまたがっている啓介が、男の逞しい肩にしがみつきながら喉を仰け反らす。
「そこ。して…、京一」
 途切れそうになる言葉で啓介は、自分のいい所を京一に教えていく。
 挿れられる前に一度、京一の手で放熱させられたというのに、啓介のものは止まない興奮と快感に早くもまた勃ちあがりかけている。
「こう、か」
 セックスにあまり慣れていないらしい啓介の躰を傷つけないようにしながら京一が、探り当てた啓介のいい場所を強く突き上げる。
「そ…う……っ、ぁあっ!」
 京一のペニスでその場所を擦られて、啓介が小さく悲鳴を上げた。
 勃ちあがっている啓介自身を握り込んでいる手に柔らかく扱かれて更に目が霞む。眩いまでの意識の白さに感覚が弾け飛ぶ。
「あ、あ!……ん、んんん―――っ」
 がくがくと身が揺れた。下から京一に突き上げられているからだけではなく、信じられないぐらい感じる快感にどうしようもなく自分の躰は痙攣している。
 押し寄せる快感がどこから発しているのか分からないぐらい、躰中のそこかしこが感じてる。
「ひ……ぁあああっ!………やだオレ……躰がヘンっ」
 それは止まらなくて。でも止めたくもなくて。
「きょう、いちっ!……オレ……っ!」
 どうしたらいいのか分からぬまま混乱した啓介は思わず、悲鳴のような声をあげて自分を深々と貫いている男に助けを求めた。
 強すぎる快感に飲み込まれそうになるのを堪えようとして、きつく眉根を寄せ目を閉じている啓介の眦には、うっすらと涙が溜まっている。
「変?いいからそのまま変になっちまえ」
 笑いを含んだような男の声。
 温かに濡れた舌先が、啓介の目の際を舐め取っていった。
 こういう事にはあまり経験が豊富でないのか啓介は、それが変でも何でもなくて当たり前なのだという事を、それは強すぎる快感を躰中で感じているからだという事を、そしてそういう時はそのまま登り詰めてもいいのだという事を知らないらしかった。
「いいの?京一、ほんとに?」
 いいの?
 欲しい言葉を手にして啓介が、熱に浮かされたような声で性急にそれへと飛び付いた。
「ああ」
「で、も。オレだけ気持ちいいんじゃ、イヤ…だっ」
 気付いて啓介が、泣きそうになりながも首を振る。
「なに言ってんだ。俺も……いいんだよ」
 声が苦笑を滲ませる。
「え?」 
 啓介は薄目を開けて、滲んで霞む視界を堪えながら京一の顔を見た。
 その目が驚いたように丸くなる。
「京一も感じてんの?」
 オレ、に?
「………当たり前だ馬鹿」
 一瞬、見て分からねぇのかと言ってやりたくなる。
 だが、浅く早くあがりそうになる息を堪えながらも京一は、それを乱暴な言葉で肯定してやった。
 身の裡からとめどなく噴き出す情欲は、低下している精神力のせいでいつもより抑制がきかず暴走しそうになっているというのに、このお子様は感じてるのかと聞いてくる。
 今の自分はきっと、発情期のけもののような顔をしているのだろうに。
 熱が上がっているのかそれとも、啓介とのセックスに躰の温度が上昇して熱を発しているのかどちらなのかはもう、京一にもよく分からなかった。
「よか、った」
 鋭い快感に翻弄されて既に息があがっている啓介が、安堵したような笑みを見せる。
 京一の顔に浮かんでいるのは、初めて見る表情だった。
 兄が人に向ける冷笑とはまた違うけれども。いつも冷たくて皮肉げな笑いを刻んでいる口許が、すこしだけ苦しそうに歪んでいる。そこから吐かれる荒い呼吸は火のように熱くて。常の無表情を強調している鋭く怜悧な双眸が今は、眉根を寄せて。情欲に染まって潤み、ひどく艶を滲ませていた。
 目にしたそれ全部が自分を感じているせいだと思っただけで、啓介の敏感になっている躰中のそこかしこが更にずくんと昴ってしまう。
「あ、あ!」
 自分で京一の漲りを締め付けてしまった啓介が熱い息を吐いて、背を仰け反らす。
「達けるか、啓介」
 腕の中の躰を抱え直した京一は、耳許に囁いた。
「う……ん、ごめ…オレ。もう…」
 もたねえ、みて。
「いいから黙ってろ」
「んっ」
―――それはこっちも同じだ。
 体内を荒れ狂っている欲望のままに啓介を抱いたら壊してしまう。手加減しねぇとまずい、と思いながらも我慢がきかない。
 興奮が収まらず、啓介の腰の両脇を掴む手には知らず強い力がこもってしまう。
 きっと後で指の形に痣が残るだろう。
 頭のどこかでそう考えつつも躰は止まらずに。深く突き上げて痺れるような快感を得ようとして京一は、両手にした骨張った腰を持ち上げて強く引き降ろす。
「は…ァッ」
 啓介の狭い内壁が、打ち込んだペニスの先端を擦り上げ、その刺激に耐えきれず京一は荒い呻きを洩らした。
「あっ…………あぁああああっっ!!」
 だが啓介は更にそれに耐えきれず。
「いいか、啓介」
 達くぞ―――。
 そう言われてももう、京一の首に両腕を巻き付けて、うんうんと頷くしかできない。
 京一の腹に腰を引きつけて、奥の奥まで男を受け入れて貪ろうとしながら。
「ん、ん…っ、はや、く……!」
 きょういちっ!
 名の形に唇を開いたものの声を出せず啓介がそのまま、びくびくと身を跳ね上げる。導くように扱く手の中で達した啓介の快楽が、京一の腹との間で飛び散るのとほぼ時を同じくして。
「く……うッ…ぅ!」
 強烈な締め付けを喰らった京一も、すぐ傍らにあった鋭い快感を引き寄せながら二度三度と腰を突き上げて、啓介の中に熱く精液を迸らせた。 




「………三十七度九分」
 体温計の目盛りを読み上げた啓介はじろりと横目で京一を睨んだ。
「熱上がってんじゃねーの?最初何度だったんだよ」
 余計なことしてっから。
 そういう自分も十分すぎるほどにそれを享受した事は棚に上げて、体温計を見ながら眉根を寄せる。
 ざっとシャワーを浴びたばかりの啓介は、ソファの背にかかっていた京一のシャツを軽くはおっていた。前をはだけながらもまだ暑いのか前立てを煽ってパタパタと風を入れている。
「知らねぇ。計ってない」 
 煙草を銜えながら平然とした口調で言った京一に啓介が、はぁと溜息をつく。
「頭脳明晰で合理的だって噂のエンペラーのリーダーが、んな事でいいのかよ」
 なんかちょっと違わねーか。
 八つ当たり気味の声でぶつぶつと呟いてみる。
「噂の責任までは取れねぇな」
「そういう事を言ってんじゃなくて!風邪引いてんのに!酒は飲むわ!煙草は吸うわ!メシは食わねーわ!言うことは聞かねーわ!……セックスはするわ」
 憤懣やるかたないといった長台詞の最後の方で思わず小声になりながらも啓介は。
 あああお前がこのまんまじゃ気になっていつまでたってもオレ帰れねーじゃんかっ!
 相変わらずそっけない京一へ、そう言っている間にも更に憤りが込み上げて、思わずだんっと床を踏みならす。
 そうやってひとしきり騒いだら気が済んだのか啓介は。
「そーだ。ガラス危ねーから」
 かたづけなきゃ。
 思い出したようにキッチンの方を見た。
「手ぇ切るんじゃねぇぞ。お前そういうとこそそっかしそうだから」
「そんなにひどくねーよオレ」
 オレよかアニキの方がぶきっちょなんだぜ。
 クルマとガッコの事はあんなに器用なのになー。
 それ以外は生活全般に渡ってるってのがすげえよな。 
 自分の兄が如何に日常生活へ破綻をきたしているかを得々として説明する啓介であった。
「でも。あれ?アニキのこんな事、人にあんまり喋った事ない気がする。オレ」
 ふと気付いたように、啓介の口が止まる。
「悪りぃ。京一、あんまアニキの事よく思ってねーだろーにこんな事ばっか喋って」
 アニキの事、好きじゃねーだろ?
 京一と自分の兄とがバトルをして、結果、京一が敗れた事をその現場に立ち会って知っている啓介が思い出して慌てたように言う。
「……気にするな」
 何の屈託もなく言ってのけた啓介の言葉に一瞬黙り込んだ京一だったが、静かな口調でそれだけを言った。
「あ、オレ。割れたヤツかたしてこねーと」
 喋りすぎた自分に気付いて、きまり悪そうな顔をしながら立ち上がろうとした啓介だったが。
「啓介」
 京一に呼び止められて背を向けたまま足を止める。
「……もう少しだけ、ここにいろ」
 聞き取れないほどに低い声だった。
「京一?」
 だが、啓介の耳はそれを捕らえていて。ついと振り向いた。
 自分を見ている京一の視線と出会う。
 部屋裡とはいえ射し込む夏の日差しがやはり、病人にはきついのだろうか。
 何か眩しいものでも見ているような眼差し。
 ゆったりとした姿勢でベッドに横たわっている京一は、眠りへと向かっているようだった。
「……うん」
 いるから。
 意識の底に沈み込んでいきそうな京一に、啓介がふわと微笑む。
「俺が寝たら……もう帰れ」
 多分眠れる。こいつがいても。
 初めて啓介がここへやって来た時にも自分は。
 あれはきっと気のせいではなくて。
「うん」
 分かった。
 頷いた啓介は京一の側に寄るとベッド脇に座りこみ、投げ出されている大きな手に触れた。
 熱を帯びて乾いた指をそっと握り取る。
「なんだか……懐かしいな」
 その感触、が。
 そういやお前の髪……陽の…匂い…。
 掠れた声で呟いて。
 それきり、京一の声が途切れた。
 啓介は、男の唇から静かな寝息が洩れ出すのを不思議な気持ちで眺めていた。

 京一ってこんなに穏やかな顔、すんだな。
 半年前、自分の手で男の左耳朶に填めた小さな銀光を懐かしく目にしながら呟く。
 峠で会った時、初めて華音と出会った時、前にここへ来た時。そして今日。
 鋭い眼差し、浮かぶ冷笑、拒絶の無表情、滲む皮肉。なのに今見せている穏やかな寝顔。
 こんな優しい顔できんのに誰も見た事がないのかよ、京一?
 もしかしてオレだけ?
 柔らかな笑みが啓介の口許に浮かぶ。くすりと秘めやかに。

 わずかに京一と触れ合っている指先に、啓介の額に垂れかかる金茶の髪の幾筋かに。
 窓から射す陽光が燦と、降り注いでいた。

 黄金律を描くような光景。

 自分が眠りに就いたら帰れと言われたにもかかわらず。
 ちょっと買い物してくると言ったきりいつまでたっても帰ってこない自分をきっと、兄が気懸かりに思っているだろう事も重々承知の上で。
 それでも。
 飽かず男の顔を眺めているうちにやがて。
 床に座り込んでいた啓介の頭もいつしか、ベッドに向かってゆっくりと落ちていった。



 ことん。





 静かな部屋に時だけが流れていく。
 オレとあんたのいるこの場所で。
 いつまでもいつまでも。
 時だけが緩やかに。






                                   ―了―