正しい車載カメラの使い方


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―――キっツいよなあ。
 数歩ほど離れた場所で背を向けながら二人のやり取りを耳にしていた速見は、弾丸のような勢いで駐車場を飛び出していく白エボのスキール音を耳にしながらひとりごちる。
 清次よりは付き合いが短いとはいえ、多少なりとも京一の人となりを知っているからには口を挟む余地がなく、かといって、清次の走りに賭けるプライドも京一に寄せる想いをも知っている身としては何とも言いようがない。
 ぽりぽりと頭をかいた速見は、その手でばさりと髪をかき上げながら夜空を見上げた。
「ああ、夢のように星が綺麗だねえ」
 星々がきらめきながら輝く天然のプラネタリウムを目にして安らかな気分を満喫しようとした途端、携帯が鳴った。
「…………ずいぶんとまた短けえ夢だったな」
 無粋な現実を突きつける着信音に憮然とする。
 追跡に使ったチーム員達をそのまま町に配置してあるのだが、そのうちの一人からだった。
 くだんの男達を発見したら連絡をよこせと言ってある。
「はい、オレ」
『―――奴らを見つけました!!』
「そら良かった。で、場所どこよ?」
『それが――――――で』
「……そいつらってバカ?」
―――どうやら命が惜しくねえらしいな。
『は?』
「いや、独り言。分かった。もう少し張ってろ」
『ッかりました!』
「あとでまた連絡すっから。よろしくな」
 会話を終えて携帯を切った速見が顔をあげる。
 立ち去ろうとしていたところで足を止め、こっちを振り返っていた京一と視線が合った。
「網にかかったか」
「のようですね。三人。近くにいるそうです」
「―――ということは……仕留め損じたことに気付いたか」
 呟く京一の双眸は、鋭い光を放っている。
 最前、清次に向けていた凍りつくようなそれではなく、冷徹な思考の光。
「これ以上の被害を出すのも何だしな―――」
 京一の片目がすぅと細まる。
「―――速見」
 京一の飛ばした視線を受け止めたサードが、どうします?と目の色でリーダーに問う。
「アシがつくと面倒だ。こっちの正体がバレねぇようにして連中を潰せ。―――低次元だが同じ手で返してやる」
 代償を支払ってもらおうか、と京一がうすく嗤った。
 それを聞いた速見がヒュゥッと口笛を吹く。
「素敵に過激ですね。……了解ッす」
―――あちらさんも気の毒に。
 直接手を下すことになるのは自分だということは棚に上げた男が、京一を敵に回した相手方に同情する。
「リーダーの男がいたらそいつは残せ。明日のバトルのドライバーのはずだ。―――出来るか」
「まあ顔写真は見てるし、と……何とかなるでしょう」
―――裏は裏で、表は表で。きちんと順番踏んで叩き潰すってか。相変わらず容赦ねえな。
 仕掛けて来た連中はおそらく、牙を剥くものには一切の情け容赦をしないという噂のエンペラーのリーダーの実体が、まさに噂そのままであるということを知らぬのであろう。知っていたらこんな馬鹿げた事を仕掛けてはくるまい。
「人手がいるなら誰か選んで連れていけ」
「それほど大した奴らじゃない。たぶんね。……勘ですが」
「荒事なら清次の方が向いてるかも知れねぇが」
「暴力に訴えるのは好みじゃねえんですが。まあせっかくのタイミングを逃がすことはないでしょう―――それとも呼び戻しますか」
 白エボが走り去った方角にくいと親指を投げる。
「お前で事足りるならその必要もねぇだろ」
「蚊帳の外に置かれたと知ったら怒り狂いますよ、ヤツ」
「後で俺が言っておくからいい」
「……可哀想に」
―――乱暴者の乙女心ってヤツを分かっちゃいねえなこの人も。
 憐れむようにして、ふぅとため息をつく。
「―――なんだ?」
「いーえ?―――それにまぁ……顔が売れてるのは京一さんと清次の二人だけだ。あいつが表立って騒ぎをおこすよりは無名のオレが裏で片付けた方が得策でしょう」
「ぬけぬけと。お前が目立たないように立ち回ってるんだろうが」
 ふん、と京一が鼻先でせせら笑った。
「気のせいッすよ」
「―――珍しいアクセサリーをしているな」
 唐突に会話の流れとは関係のないことを口にした京一の視線は、速見の右手首に向けられていた。
 幾重にも巻かれている銀鎖は、洒落たブレスレットのように見えなくもない。
 アクセントなのか、一つだけぶらさがっている銀の球体が月光を浴びてきらめいている。
「これですか?……オマモリって奴ですよ」
 手首を唇へと持ち上げた男は、片目をつむりながら銀鎖にキスをしてみせた。
「何も聞かないんだな―――いいのか」
 さらりと受け流して話題を戻した京一は、理由も聞かずに汚れ仕事をいつもあっさりと引き受ける男に問いかけた。
「オレはここのチーム員で、チームリーダーはあんただ。オーダーには従いますよ」
 その言葉に嘘はなく、京一の命じるがまま手足として働いている現在だが、知りたければ自分で調べるだけの能力を持つ男が笑顔を返す。
「まぁタダじゃないですけどね」
「何が欲しい」
「あんたのキス」
「顔を洗って出直して来い」
「……ひでえな」
 速見は片目をつぶりながら人差し指でBANG!と京一を撃つ真似をした。
 すい―――と身を翻す。
「待て」
 その背に京一が制止の声をかけた。
「はい?」
 振り向かずに足のみを止めた男が応じる。
「クルマには手を出すな」
 拒否を許さぬその声に、当然の如くすべてを叩き潰すつもりでいた男は背を向けたまま、バレたかと小さく笑った。
「俺達は潰し屋でもねぇし―――ゾクでもねぇ」
「オレは……似たようなもんでしたよ」
 速見がゆっくりと京一を振り向いた。
その笑顔に変化はない。
「駄目だ。人間だけにしろ」
「…………」
 わずかに目を見開いた速見がくすりと笑う。
―――クルマだけにしろって言わねえ辺りがあんただよな。
 そんなところも好きだぜ、京一さん。

「―――アイ・サ」
 笑みの質がわずかに変わる。
 薄汚れた仕事に手を染めるサードの顔へと。
 唇にうっすらと笑みを刻んだ男は、闇にまぎれて姿を消した。


「今夜は軽く顔出すだけのつもりだったんだけどねえ」
 明智平で最後に見せた顔もどこへやら、ぶつくさとぼやいた男が車中でふぅとため息をついた。
 真紅のランエボの中でステアを握る速見は、まっしぐらにいろは坂を下っている。
「しょうがねえから早く行って……手っ取り早く片付けちまうか。じゃねえと―――」
 言いながら、次から次へと現れ始めたコーナーに向かってアクセル全開で突っ込んだ。
「―――女との約束に遅れちまう」
 京一から受けた仕事と女との情事を同列に扱った男は、今夜約束をしている女のデータを記憶の中から引き出すと。
 テールのスライドしたボディを、フルスロットルのままステアリング操作のみでコントロールしながら、路面を引き裂くようなスキール音の中で。
「確かあいつは時間にうるせえんだよなあ」
 と真面目な口調で呟いたのだった。


 そしておよそ一時間後。
「京一さんは…………と話し中か」
 速見の指先が、次なる報告先の番号を呼び出した。
 携帯を耳と肩の間に挟み、手慣れたしぐさで元通り銀鎖を右手首に巻きつけながら相手を待ち受ける。
 ふと、目の前を見た。
「……飛んで火にいる夏の虫ってこいつらの事だよなあ」
 今は秋だけどよ。
 のんびりとした口調で呟く速見の目の前では、気絶しているとおぼしき三人の男達が転がっている。
 日光市内にあるたった一軒のファミレス、その駐車場の奥まった場所の冷たいコンクリートの上だった。
「風邪ひかなけきゃーいいけどな」
 男達が風邪を引くのではないかという心配をする前に、医者を呼んでやるなり身元引受人に連絡してやるなりその他色々とあるだろうという発想は、この男の頭の中に存在しないようであった。

 プルルルル―――と鳴った携帯を、清次が胸元から掴み出す。
 ディスプレイの表示は、その電話がチームのサードからであることを教えていた。
「―――俺だ」
 携帯を耳に当てた清次が応える。
『よう、元気?』
 相変わらず緊張感というものに欠けている男の軽い声が耳元に流れ込んできた。
「とぼけた声出してんじゃねェ。そんな事より……お前どこにいるんだ?」
 京一に冷たい眼を向けられて走り込みに出た清次が胸に渦巻く鬱屈を発散し、ようやくいつもの自分を取り戻して明智平に上がって来てみると速見の姿は消えていた。
『京一さんの用事があってちょっとな』
「こっちはバラの連中もだいぶ消えてコース空いたぜ。戻ってくるなら―――」
『今日はもう上がらねえ』
 電波のこちら側では、速見が手首に舌を伸ばして銀の球体にわずかこびりついていた深紅を舐め取りながら、時間に遅れるんだよ、と独り言を呟いていた。
「ああ?何だって?」
『いーや、こっちの話』
「どうでもいいが、お前ももうちっと真面目に走った方が…………俺が言うことじゃねェけどよ」
 ついつい語尾を弱くしたことに回線の向こうからくすりという音が聞こえ、笑ってんじゃねェ!と清次が怒声を張り上げる。
『たまにはいいだろ?』
「お前の場合、トンズラこくのはたまにじゃねェだろうが」
 咎めるような声で言った清次に、もう一度、はっはっはと今度は明るく朗らかな声で速見が笑う。
『よう清次。京一さんに、小魚だけじゃ腹が膨れねえから脂が乗ったの食いに行きます、って言っといてくれる』
「何だよそりゃ」
『言えば分かる』
「……あ、おい待て。京一が」
 どこやらと連絡を取り合っていた京一が所用を終えたらしいことに気付いて、速見だ、と清次が自分の携帯を渡す。
「俺だ。―――終わったのか」
『ええ。顔は見られてないと思いますよ』
―――あれじゃあ見るヒマねえもんな。
 三人であれば殴り倒すこともできたのだが、顔をさらさずかつ手早く処理するためには―――と思案した末、卑怯にも標的を背後からまとめて闇討ちした男は、平然とした声でそう報告した。
 事の発端となった相手側の所業を振り返ればそう一概にも言えないが、非合法な手口であることには変わりがない。
『あとは清次に聞いてください』
 それだけ言うと、それじゃオレはこれで、と気軽く挨拶した速見は一方的にプツリと回線を切ってしまった。
「本日の営業はこれで終了。さぁて  と。あったかい所に遊びに行くか」
 その遊び、の内容を思い浮かべて楽しそうに笑った男は。
「―――あ、そうだ」
 エチケットだよなと呟いて、舌の上で転がしていた鉄錆びた残り香を消すべく、グリーンガムを取り出して口の中に放り込むと、赤エボのイグニッションキーを回した。

 ツ―――、ツ―――、ツ―――。

「…………」
「どうした京一?」
「切られた」
 清次の問いかけに、京一が簡潔な事実だけを口にする。
「なんだと?それ貸せ。……おいッ速見ッ!!」
 京一の手の中から奪い取った携帯に向かって清次が怒声を張り上げたが、当然ながらそれは虚しい断絶音を耳に伝えるだけである。
「……ッたく……」
「清次。あいつは何と言っていた?」
 苦虫をかみ潰したような表情の清次に、京一が尋ねた。
「……何だったかな、確か……小魚だけじゃ腹が膨れねェから脂が乗ったの食いに行くとか何とか」
 ッていうと、今の時期―――サンマか?
 手にした携帯を眺めながら清次が、今ひとつピントのずれていることを言った。
「……女の所に行ったらしいな」
 京一が苦笑する。
「女ァッ!?ふざけやがってあの野郎ッ!!」
「放っておけ」
―――雑魚だけだったか。本命はいなかったようだな。
 口汚く罵っている清次を横目にしながら、京一が呟いた。
「ところで……あいつに何をさせてたんだ?」
 根本的なことに気付いた清次が京一を振り返る。
「タチのよくねぇ連中がうろついてたから片付けさせた」
「……それって……ゆうべの件かよ?」
「ああ」
「……俺にやらせればいいじゃねェか」
 自分の手で鉄槌を下してやるつもりだったらしい清次が獲物を奪われたことを知って、不機嫌な表情を浮かべる。
「お前だと手当たり次第だろうが」
 乱闘になると清次は敵味方の見境をなくすことが多い。止めに入ろうとして、邪魔だと唸った清次の拳に一撃で吹っ飛ばされた人間は掃いて捨てるほどいた。そういう場合は大抵、器物破損のおまけも付いてくることが多い。
「ここは俺達の地元だ。お前が派手に動くと後が厄介なんだよ。今回は特に―――事が事だからな」
「………………」
 今まで何度も京一に事後処理をさせた身としては、それを言われてしまえば黙るしかない。居心地悪げに視線をさまよわせた清次だったが、ふと気付いたように面をあげた。
「あいつガタイはそれなりだけどよ。腕っぷしの方はどうなんだ?強えのか?」
 そういや見たことねェぞと首をひねる。
「さぁ、どうだろうな」
―――俺も話に聞いただけで実際に見たわけじゃねぇしな。
「あいつは仕事を引き受けて……結果を出した。それでいいさ」
 大丈夫なのかよと太い眉をひそめた清次を見て、興味の薄そうな声で京一がそう付け加えた。