Toilette-トワレ-


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 涼介とこの店に立ち寄ったあの時から、既に半年が過ぎている。
 華音から渡された小瓶に満ちていた液体は、言われた通り一ヶ月足らずでその姿を消した。
 京一はその最後の香りを今日、身に纏っている。
 そして今、彼は一人で店頭に凝然と立ちつくしていた。

 女性店員の視線が痛い。
 こんな店には不似合いだとしか思えぬ強面と体格の男が、無言で商品を睨み続けていた場合、店員としては警戒するのが当たり前だろう。
 客であるのかもしくはそうではないのか。買うのか買わないのか。
 とにかく商売の邪魔にしかならぬ存在だとは思っている事だろう。

 京一が視線を注いで立っている場所は。
 クリスチャンディオールの香水群の前だった。
 三種類のサイズの瓶が美しいディスプレイで陳列してある。
 思考の内側を伺わせないいつもの無表情で、京一はそれらを眺めていた。

―――渡されて何となくつけるうちに、気に入った。
 きっかけは関係ねぇ。使ってたモンが切れたから来た。ただ、それだけだ……。

 自分の行動を、そう納得すると。

「これを」
 店員に向かって、液体が揺れる深紅の瓶の一つを指差した。
「お買い上げありがとうございます。九千四百五十円になります」
 無言で札を差し出す。
「五百五十円のお釣りになります。……プレゼントでしょうか?」
 釣りを渡しながら店員がラッピングの有無を尋ねた。
「いや……」
 やはり自分が使うようには見えないのだろうな、と苦笑しつつ答える。
 やがて簡単に包装されて来たそれを受け取り、上着のポケットへ無造作に放り込みながら踵を返す。
「ありがとうございました」
 一転して愛想の良くなった店員の声を背に受けて、京一は店の外に出た。
 歩き出しながら取り出した煙草を銜えてジッポで火を付ける。
目を細めながら最初の一息を深く吸い込んだ。

 初夏の風が。
何かを愛おしむような微笑にも何かを嘲笑うような嗤いにも取れる、かすかな笑みを京一の口許に運び。
 そしてそれは―――。

 吐き出された紫煙と共に流れ去っていった。




                                          ―了―